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ちょうどよく

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普段まめに掃除をしない自分は、 お客さんが来るときと、 これはもうやった方がいいだろうという自分独自の限界がきたときと、 そして、今まさに重い腰があがるとき・・・年末の掃除をしています。 心身の調子もここでわかるような感じがあって、 いつの年だったかは、全く何一つ掃除をせずに正月を迎えたということもあったなあと思い出します。 今年はというと、水回りだけですが普段よりちょっと念入りにやったのでもう満足。 調子もまずまずいいのかなあと感じています。 掃除の後は、娘と久しぶりに鉈屋町までお出かけしました。 気になっている 古着屋さん へ行き、 娘は、古着もさることながら、町家の風情を残したいい具合の建物構造を関心してみていました。 娘と自分は建物をみることが大好きで、娘は仕事柄、どうやってリノベーションするかを想像し、 自分は実際に昔ここに住んでいた人たちの暮らしを想像し、 お互いが古さを共通に、違ったお店の楽しみ方をしているんだなあと思いました。 途中歩いているとだんだん小降りだった雪が猛吹雪へと変わり、 たまたま見つけたお店で一休みすることにしました。 いい匂いに誘われて注文したのは、ミニうどんとおいなりさんのセット。 娘が「わ~、これ、ちょうどいいねえ」 お~、確かにちょうどいいかも・・・。 量も、組み合わせも、味付けも、 食べる時間的にも夕飯に影響しないグットタイミングでの軽食。 ちょうどいいって言葉、 なんだかピタッと今の自分にはまりました。 ピタッとすると気持ちがよくて、この気持ちよさの積み重ねが大事なのだと思えました。 自分の身の丈にあったこと、その分量、内容、心身への影響、そして時期は今なのかもう少しゆっくり先なのか。 今の自分に見合うものが、元々用意されているのに、 自分で背伸びをしてしまったり、怖気ついてしまったり、無理なやり方でそれをやろうとしていないだろうか。 そういうアンバランスなことをやっている自分をしばし感じた師走でした。 きっと白パターンを選び行動していけるようになると、 そのあたりが本当に「ちょうどいい感じ」に流れていくのではないかと思います。 楽に生きられるようになる、というのはまずはそういう実感なのだと思います。 そうやって少しづつ、これでちょうどいい?と世間一般的にはそう見えないようなことであっても、 すべてを、「ちょどよくやってい...

ゆがんだ目

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自分のパターンとして嫌いだと思う人のことを、 自分は随分と長い間、 『ゆがんだ目』で見続けていたんだなあと気づかされるようなことがありました。 パターンがいつも訴えてくることは、 そのひどい言い方はやめてほしい、上からものを言うのをやめてほしい、 もう自分をバカにしないでほしいのです。 とにかく自分を軽蔑しているような、さげすむような、完全に上から目線の態度に、 いつも怒り、悲しみ、怯え、大嫌いだーーー!と叫びたい気持ちで長い間います。 そんな結構大きなパターンだったのですが・・・ 自分っていままで何を見ていたのだろうって、 何かすごくゆがんだ見方しかしてこなかったんじゃないか、 と思いました(パターンってそういうものなのだが)。 自分もその人に対して、 あれ?同じことしていたかもしれない、とハッとしました。 もちろん、その人のようなひどい態度はとっていないつもりだったし、 されて嫌なことはしていないつもりでしたが、そうじゃなかったんだなあ・・・と。 あることをきっかけに、その人からにじみ出る『孤独』を感じたとき、 その寂しさは、ものすごく悲しく冷たさを感じるもので、 でもなぜか、とてもよくその孤独がわかるような気がしました。 自分だったら本当にむなしく思うだろうな・・・ だからがんばってきた。 だから虚勢を張ってきた。 それは自分の中にもあるものでした。 そういうことが実は今まで、全くわからないわけでもなかったのですが、 でも、だからといって、ああいう言い方はよくないと自分のパターンはゆるせなかったのです。 その孤独とやらも自業自得なんだと、パターンは振り払うのです。 自分の心に確かに何度か感じていたものをないものにして、 またゆがんだ目でその人を見続けようとする自分がいました。 憎しみって、一度そう感じてしまうと、 憎しみにふさわしくないものは許さないかのように、何か強烈な力が働くように思います。 これは、完全にパターンにのみ込まれている状態です。 だから、好きの感情も嫌いの感情も、 そこから憎しみに変わってしまうところへは、野放しにしない方がいいと思いました。 憎しみには、今起きていることを正確に見る力はないんですね。 自分はかなりの時間を要して、 そのゆがんだ見方で何が見えるのかを体験をしていたと思います。 そのあたり前に思っていた(それが正しい見方だと思っ...

現状維持よりは

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先日、来年は現状維持でいこうか、それともステップアップ目指そうか、 という話題がでました。 現状維持・・・ステップアップ・・・ 今ある状態をどう捉えるかによって、どちらも正しいのだと思います。 でも、自分のパターンとしては、 現状維持でいたいって本音ではないんじゃないか、って思い胸がざわざわしてしまいました。 毎日、変わりばえのない生活で、仕事もそんな困ったこともないし、 人間関係も表面的にやれてはいる・・・それで(無難な方で)いいかなという思い。 問題が起きなければとても平和に暮らせると感じるのかもしれません。 でも少し物足りない感じというか、 本当のところは何の成長もしていない自分を見るのはどこか寂しい、とは感じないのだろうか・・・ と思ってしまいます(これもパターンだが)。 かといって、ステップアップを目指すというと、 何かしらの挑戦や新しいことをするということでもあるので、それがどういう結果になるのかを考えると、 現状維持の方がハードル低そうだし、ちょっと安心って思うのかもしれません。 今自分の置かれてある状態をよーーーーく見てみると、 決して何も変わらずにいることって現実にはないんじゃないかと思います。 実際に何か大きな変化はなかったなあと思っていても、 全く自分の内面が変わっていないということはないし。 結果的に、現状維持のままだったなあって思うことはあっても、 はじめからこのままでいい、というのは逆に今いる現実を見ないようにしているのかな。 今のままで充分幸せだと思うときであっても、 今のままでずっと誰も何も変わらないでほしいと願っていても、 やはり月日は流れ、同じ毎日はないです。 変わっていないと思うことも、変われないと思うことも、変わっては困ると思うことも、 全部パターンが思っていることだから・・・ 現状維持(変わらないこと)を目指すにも、結局はステップアップ(変わること)が必要なのだと思います。 今の状態をちゃんと理解し、見極め、受け容れることができたらいいなあと感じます。 今自分がどこに立っていて、どっちの方向を向いているのか、 自分のいる場所を把握していないと、目指す方向もわからなくなってしまいそうです。 何を変えて何を変えないのか・・・ 自分であれば、「変えない」ということの中に、 自分を観察すること、ケアすること、「私」が選択をする、など...

幸せなケーキ

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クリスマスは、やはりケーキを食べたくなってしまいます。 今年はショートケーキを買って食べ比べしようということになり、 夫がいろいろ買ってきてくれました。 子どもが小さい頃は、わたしたちも当然まだ若いですから、甘いものに対する食欲もはんぱなく・・・ ひとり1ホールまるごと食べる!という贅沢をしたことがありました。 ホールを何等分かにカットするのではなく、そのままスプーンで穴を掘って食べます(または、かぶりつく)。 娘も大喜びですが、大人の私たちこそ楽しんでいたかもしれません。 自分だけのホールケーキですからね。 今は・・・というと、ショートケーキ1〜2個食べたらもうお腹いっぱいです。 それよりも、家族みんなが元気でクリスマスのご馳走を食べられる、 ということがとても嬉しいなあと思いました。 何か本当に小さな幸せですが、今年も一緒にこのときを過ごせたことに感謝です。 そして職場でもケーキのプレゼントがありましたが、 何かのご縁で知り合えた方々と、この時間を共に過ごし、わいわい言いながらケーキを分け合って食べる。 この、同じものを分け合って食べるって、これだけのことなのに、 とても嬉しい気持ちになってしまいました。 みんなが笑って美味しそうにケーキを食べている。 その光景を見ている自分。 この仕事をしてきて本当に良かったなあと、じーんときてしまいました。 こうして、毎年クリスマスから年末年始に向けて、 結構なんだかんだで食べてしまいます。 今年こそは体をたくさん動かしながら、あえてジーンズをはき、 お腹具合を調整して、すっきりと健やかなお正月を迎えたいです。

飲み会って

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忘年会の季節ですが今年も自粛しているところは多いようです。 普段の飲み会も歓送迎会も、 とかく大勢でお酒を飲むという機会は、この2年で激減したのではないでしょうか。 自分はお酒が大好きなのですが(特に日本酒が)、 過去に経験した『飲み会』と名の付くものには、 ただただ気疲れしてしまったとか、 気が合わない人(パターンに引っかかる人)と一緒でつまらなかったとか、 にがい思い出のものが結構あったように思います。 そのため、一人でつまみを作って家飲みするのが一番好きかもしれません。 お酒の力を借りて親睦を深める。 それは、しらふでは親睦が図れないから・・・ということなんでしょうか。 経験上、親睦というほど心を開示し合うというわけではないし、 お酒を一緒に飲んだから信頼感が増したとかいうのもなかったように思うし、 何か本音でじっくりとお話ができてよかったと思うことは、お酒の力とは関係なかったように思います。 そんな感じの飲み会をたくさん経験し、 今はというと・・・気持ちのよいお酒しか飲まない(よい時間しか過ごさない)、になっている感じがします。 外で飲む機会はそんなに多くはないのですが、 本当に会いたい人、話したい人とだけ時間を作るようになったので、 その時間は以前よりもゆったりとしていて、純粋に料理を味わい、お酒を味わい、 何よりそういう時間をとても楽しめるようになりました。 コロナで良かったことの一つなのかなと思いましたが、 そもそもそういう飲み方を自分が今まで選択してこなかったんだなあと気づかされた思いがします。 飲み会とは、はめを外すおもしろさはあるかもしれませんが、 なぜか楽しまなければ損したように思ってしまう・・・そういうパターンが自分にはありました。 別に楽しくない時間などあってもいいのに、 飲み会には、そういう時間であってほしくないと思うパターンがいるのです・・・不思議。 そして、断りたいけど断れない、断ったらなんだか悪いというのも、飲み会にはあるように思いました。 何かの用事は断れるのに、飲み会ありますよ!と言われると、 嫌われたくないとか、つきあいが悪いと思われたくないとか、 暗い性格だと思われたくないとか、自分の知らないところで盛り上がってほしくないとか、 そういう他人を気にするパターンが出てきてしまうようでした。 もし、今、飲み会があったとしたら(行...