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それぞれの道を行く

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共に 『魂の道場』 でカウンセリングを学ぶ仲間、 藤岡好恵さんのホームページをご紹介します。 ~自分として生きるためのカウンセリング~ 素のままの自分 書道家でもある好恵さんの日記からは、凛とした暮らしの息遣いが感じられます。 実は以前、わたしの日記に好恵さんのご家族のお話、 写真家の唐武さん のことを書かせていただいたことがあるのですが、 好恵さん自身も芸術的センスが素晴らしく審美眼がある方なのです。 日記を読まれた方はすでに、そのあたりを感じ取った方もいらっしゃるかと思います。 みんなから『主婦の鏡』と言われる好恵さんの日常から(ご本人にとっては、普通みたい)、 何かを真似したいなと思いながら、ブログの更新を楽しみにしております。 岩手クラスの勉強会が、実践の場としてなかなか活用できていなかったとき(はじめ、自分はそうだった)、 同じ学びをしているのに、なぜ素の自分になれないのか、 なぜわからないと言えないのか、 みんなより劣っている、遅れていると落ち込んでしまう、などなど 当時、仲間と会うたびに感じるちょっと言いにくいことを、 好恵さんの方から話してくれたことがありました。 もしも自分だけがこんな気持ちでいたとしたら・・・ みんなでつくりあげる勉強会なのに、そこでの違和感を口にするというのは勇気がいること。 でも、そこに一筋の光を注いでくれたのは、 自分に正直に生きたいという思いが何よりも優先されていたからなんだと思いました。 ときにパターン全開で話もしますし、また、共に学び合う仲間として「私」を意識しての話もします。 どっちで話しても、受容してもらえるという関係性はとても貴重で、本当に本当にありがたいなあと思う。 何かを目指すときに、仲間の存在はとても大きいですが、 同時に、仲間がいるからこそ孤独を感じることもあります。 そういう感情の動きを、そのままに話せる場として活用するのかしないのかは自分次第なのでしょうね。 同じ方向を向き、同じ道を目指しているかのようではありますが、 みんな自分にしかない、自分にだけ見えている、ただ一つの道を歩いている。 お互いにそれぞれの道を進む姿を見せ合えるというのは、 「そこから学べ」ということなんだと思っています。

優しくなれない

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母に対して優しくできなかった自分に、とても悲しくなりました。 母は何一つわたしを困らせようとしているつもりもないし、無理なことを言っているわけでもないのに、 仕方ないなあ~では終わらず、しつこいくらい責めてしまいました。 これまで何度もパターンに語り、白を選んでいても、 また振り出しに戻ったかのように、腹を立てている自分(パターン)は健在なのです。 母にしっかりして欲しい ちゃんと話が通じて欲しい そんなにすぐに忘れないで欲しい 自分を困らせないで欲しい・・・ そうじゃないと、また自分はイライラして、言いたくもないことを言ってしまわなければならなくなる。 そうなんです・・・母がちゃんとしてくれないと、 母のせいで自分は優しくなれなくなっている、意地悪な人間になってしまう・・・ そう思っているのです、パターンは。 ちゃんとしてくれたら、母は、わたしから怒られないで済むのに。 ちゃんとしてくれたら、母も、わたしから優しくしてもらえるのに。 そして、母が、ちゃんとしてくれたら、自分は安心できるのに、って思っているのです。 自分の心の状態の責任を、すべて相手へ押し付けている。 パターンは、母とちゃんとした会話ができないことをとても寂しがっています。 寂しくて、寂しくて、 どこにもぶつけられない苦しさを、母へぶつけてしまうのだ。 でも、もう一人ではない。 「私」にぶつけていい。 「私」がついているし、 「私」が母へずっと甘えて生きていきたいことも知っている。 責めてしまう、意地悪なことを言ってしまうあなたのことを、充分に理解しているのです。 だから、何も変わらないくていい、そのままで大丈夫。 「私」が全部あなたを受け止め、あなたの話を聞き、あなたのことをこれからもずっと守っていきます。 安心してあなたは(パターンは)そこにいていい。 意地悪な人間になってしまった・・・と嘆いているパターンも、 「私」から何度でも語りかけをしてもらい、 まるでお母さんの腕の中で抱かれる赤ちゃんのように、 すやすやと安心して眠りにつくのだと思います。 今度は、母にあたらずに、「私」に話を聞いてもらおう。 もう一度、白を選んで、やっていこう。

営業マン

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平日のお休みの日。 いろんな人がピンポンを鳴らしてきます(しかも、昼寝の最中に・・・)。 そして本当に久々の『ぐいぐい来る人』とも出会いました。 営業マンの方だったのですが、 明るくて声が大きくて、でも言葉は丁寧で、腰が低いような、でも控え目とはまたちょっと違うような。 はじめは必要最低限のことだけ答えていたのですが、相手のペースに次第にのってしまって、 結構時間が経ってしまいました(何の契約も買い物もしてはいませんが~)。 ぐいぐいというのは、いい意味でも悪い意味でもどっちでもあると思いますが、 今日の方は、なかなか関心する部分があったので、いい意味です。 積極的なイメージが、ぐいぐいにはあるかもしれませんが、 その逆で、表面的なぐいぐいではないからこそ、話をしたくなってしまう、 そういう心へのぐいぐいです。 この調子で来られたら、まずかなりの確率でこの方の話を聞いてしまうだろうなあと思いました。 それは、褒められたり乗せられたりではないし、もちろん話が上手ということでもない。 うーん、何なんでしょう・・・ 一生懸命こちらの様子を聞きながら、たぶん何を求めているのかを考えてくれているのが、伝わってきたからかもしれません。 何かこちらが困っているようなこと、求めているところを探して、そこに応えようとして話しをつなげてくる感じです。 営業で来られること自体、向こうの都合なので、こちらは無駄な時間を取られるということになりますが、 もしかしたら、この方も「営業されるのが嫌」または「営業マンのここが嫌」という経験を充分にしているのではないかと思いました。 そこへの申し訳なさのようなものも感じられて、それが安心して話せることにつながっているのかもしれません。 相手の方への観察と同時に、自分の観察もちょっとできました。 営業マンを警戒する自分。 理由の一つに「断れない」というのがあるのだなと思いました。 第一印象で嫌い(または興味がない)と思ったのなら、もちろん断れるのですが、 何か押し付けられるでもなく、こちらの都合が悪くなるような状況でもないと、 気付いたらだんだん話が長くなって、その人の良いところも悪いところも見えるようになって、 さらに自分もいろんな話をして、ある程度「気が合う人」という認識が出てくると(仲が良くなるという状況)、 断りたいけど断れないということが起き...

できているつもり

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今日は岩手クラスの勉強会でした。 カウンセリングの練習ということで、 基本ワークを全部通してやってみようということになり・・・ なんとまあ、自分でもびっくりするくらい頭が真っ白になり、すご~~~く焦りました。 クライアントさんへ説明する部分、伝え方、パターンと「私」の違いを意識的に誘導していくところなど、 細かいところ、ぽつぽつと抜け落ち、省略されていたことが判明したのです。 全然なっていない(話せていない)・・・と猛烈に反省しました。 自分を知るためにいろいろなワークがあるのですが、 どれもこれも、これでは、クライアントさんにきちんと話せていないと思いました。 クライアントさんというのは、他人だけではなく、自分自身ということでもあります。 自分で自分のことをカウンセリングできるようになる、そういうワークをしているため、 本当の「私」が自分へ(パターンへ)直接語りかけ、 本当はどうなっていきたいのか、 というところを導いていけるまでが、魂の成長をめざすためのカウンセリング。 まずは自分に対して丁寧にそしてシンプルに、きちんと言葉を使うことが大切なんだと思いました。 普段、自分にしていることを他人にもしていると思う。 また自分にできていないことは、他人にもできないし・・・ 基本の『き』を今日の勉強会で振り返ることができて、本当に良かったと思いました。 自分にすることって、何においても雑に扱いがち。 家族にはご飯を作るけど、自分だけならお茶漬けでいいとか、 そういうのとは違って、 他人の話は一生懸命聞こうとするのに、自分の心の声は聞かずにスルーしてしまう、 というたぐいのものは、 これは自分を大事にしていないのと同じ。 今日は、雑になっていたワークを再点検するよい一日となりました。 できているつもり・・・ これほど怖いものはない。 みなさん、いつもありがとうございます!

支援者

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この仕事に就く前、 福祉の仕事(障害がある人に関わること)をする人をみて、 こんな大変そうな仕事をどうして選ぶのだろう・・・ と思ったりしていました。 それがいざ、自分が転職したときは、 そういう疑問があったことなどすっかり忘れ、 人と深く関われる仕事をしたい、という気持ちで探していったら、 それがたまたま障害がある人とだったという感じなのです。 おそらく他の人たちも、 人が好きで、いろんな人と関わりたいという気持ちをもって働いているのだろうなあ、 と思っていました(そこで共感しあえる方はたくさんいるので)。 でも、働いて間もなく、 支援者たちに対してときおり感じる、『違和感』といったらよいか、 支援する側とされる側にある見えない『壁』みたいなものも感じるようになりました。 たぶん、支援する側が作りだした壁といったらいいかもしれません。 「この仕事を選ぶ人って、どういう人なんだろう?」 引っかかっていた。 ある利用者さんの担当となり、担当を持つことにまだ慣れていなかった頃、 普段あまり人見知りをしない自分がとても緊張をしていました。 その方は資格を持って働いていた頭のよい人で、 病気をしてからもその部分は卓越しているように見えました。 何か一つ話をすると、明瞭かつ理性的な言い方でたびたび突っ込まれ、 わたしは言葉に詰まるということが何度となくありました。 そのうち、こちらが何を考えているのかまでも分析されているかのようで、 心を見透かされているような感じがして、次第に怖くなっていったのです。 日に日に関わることがつらくなり、 そのとき自分がとった行動は、その方を『避ける』という態度でした。 本来はもっと心の内を聞いてあげたり、困っているところを一緒に考え、悩み、 側にいるべきだったと思うのですが、 そのときの自分は、その方と関わるほどに自分のダメさ加減をすりこまれるようで、 こんな支援者なんている?と思うほど、 自分がみじめで、情けなくて、そしてとにかくその方が怖かった。 その後、大部経ってから、 「他の人には親身になっているのに、自分にはしてくれなかった」 とその方が言っていたと聞かされました。 ・・・親身になっていない・・・ 全然頼りにならない人だと思われていただろうなって、思ってはいたけれど、 その言葉をかみしめていくうちに、 自分は、何でこの仕事を選んだんだ...