支援者

この仕事に就く前、
福祉の仕事(障害がある人に関わること)をする人をみて、
こんな大変そうな仕事をどうして選ぶのだろう・・・
と思ったりしていました。
それがいざ、自分が転職したときは、
そういう疑問があったことなどすっかり忘れ、
人と深く関われる仕事をしたい、という気持ちで探していったら、
それがたまたま障害がある人とだったという感じなのです。

おそらく他の人たちも、
人が好きで、いろんな人と関わりたいという気持ちをもって働いているのだろうなあ、
と思っていました(そこで共感しあえる方はたくさんいるので)。
でも、働いて間もなく、
支援者たちに対してときおり感じる、『違和感』といったらよいか、
支援する側とされる側にある見えない『壁』みたいなものも感じるようになりました。
たぶん、支援する側が作りだした壁といったらいいかもしれません。
「この仕事を選ぶ人って、どういう人なんだろう?」
引っかかっていた。

ある利用者さんの担当となり、担当を持つことにまだ慣れていなかった頃、
普段あまり人見知りをしない自分がとても緊張をしていました。
その方は資格を持って働いていた頭のよい人で、
病気をしてからもその部分は卓越しているように見えました。
何か一つ話をすると、明瞭かつ理性的な言い方でたびたび突っ込まれ、
わたしは言葉に詰まるということが何度となくありました。
そのうち、こちらが何を考えているのかまでも分析されているかのようで、
心を見透かされているような感じがして、次第に怖くなっていったのです。

日に日に関わることがつらくなり、
そのとき自分がとった行動は、その方を『避ける』という態度でした。
本来はもっと心の内を聞いてあげたり、困っているところを一緒に考え、悩み、
側にいるべきだったと思うのですが、
そのときの自分は、その方と関わるほどに自分のダメさ加減をすりこまれるようで、
こんな支援者なんている?と思うほど、
自分がみじめで、情けなくて、そしてとにかくその方が怖かった。

その後、大部経ってから、
「他の人には親身になっているのに、自分にはしてくれなかった」
とその方が言っていたと聞かされました。
・・・親身になっていない・・・
全然頼りにならない人だと思われていただろうなって、思ってはいたけれど、
その言葉をかみしめていくうちに、
自分は、何でこの仕事を選んだんだっけ?
と思いました。

そうか・・・
頭のよい、できる支援者でなくてよかったんだ・・・

言葉に詰まったっていい、その方より知識がなくてもいい、
なにか器用にやれないことがあったっていい、
ただただ、その人の側にいて、
話をたくさん聞いてあげられたら、もしかしたら関係性は違っていたのかもしれません。
ものすごく後悔しました。

そのときの自分の体験から、あの『違和感』の正体にも気がつきました。
支援する側には、支援したい人がいるのだと思います(意識しているかどうかは別として)。
なぜこの仕事を選んだのか?
理想的な人との関わりを叶えるため。
それは劣等感がある自分を満たすため。
障害がある人よりは、自分の方ができることはたくさんあると思ったため・・・。
●自分を満たしたい、というパターンは、
人と比較することでしか叶えられないと思っているのです。

言い方を変えれば、
体が弱い人、能力が低い人、話すのが苦手な人、一人ではできない人、考えられない人、精神が安定しない人、などなど、
自分がその人たちよりも上である、優れていると思っているからこの仕事ができると思ったのか?
または、そういう人たちであれば自分を傷つけることはないだろう、と思っていた自分がいたかもしれないのです。

違和感というより、ショックな事実。
自分にあってほしくない(認めたくない)パターン。

でも自分がしたことは、
壁の向こう側には、同じ人間としてみている支援される人がいて、
こちら側には、少し上にいると思っている支援する人がいて、
そこを難なく越えてくる人(自分よりできる人が現れた)を察知したから、
自分を守るために『壁』を立てた。
そういうことだったんだと思いました。

この世の中に、
してもらう側と、してあげる側のどちらかだけということはないはず。
してもらうときもあれば、してあげるときもあるし、『させてあげる』ということだってある。
本当の「私」の純粋な気持ちとは裏腹に、
どろどろしたような真っ黒なパターンも存在します。
人だから、相性があう合わないもありますし、すべての人に対応できるわけではない。
だとしても、それがパターンによって全部振り分けられていたとしたら、
そこに違和感、不快感を感じた自分は、
そのパターンを否定するパターンがあるから。
また、否定したそのパターンと同じものが、やはり自分もあるために、
ある意味とても理解を深めてみたいと思うのかもしれません。

こういうパターンたち(自分にはないと思っていたパターン)を救うためにも、仕事ってあるのだと思う。






コメント