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忘れていたこと

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就職相談会に、利用者さんたちと参加してきました。 年に一度、市内近郊の障害者雇用を検討している企業(約50社)が集まるので、 就職を目指す障害者の方たちは、自由にブースをまわり説明を聞くことができます。 会場には、以前関わったことのある企業や関係機関の方など知っている方たちがたくさんいました。 その場にいて、そうした方々を見て感じたこと。 ●自分の仕事を認められたい、というパターンがあります( 前回の日記 で書いたこと)。 ですが、そのパターンをいつも主役にしてやってきたわけではないんだ。 っていうことを思いました(あたり前かもしれないが)。 自分が認められたいから、そのための言葉がでてきて、そのためだけに動いてきたわけではなく、 本当の「私」ならばどうしたい? って自問自答しながら発言し、行動する。 そんな風に仕事を積み重ねてきた自分も、まだまだ小さな時間だけど確かにいた。 「私」でやることができた時(正確には、パターンのケアをしながらした仕事)は、 結果的にうまくいかなかったとしても(利用者さんの就職に繋げられないとか、仕事を辞めることになってしまったとか)、 その思い通りに行かなかったことに、大事なことがたくさんつまっていた... 身にしみて感じさせられるのです。 就職相談会の会場で、自分に声をかけて下さる方々。 これまでにあったいろんな山あり谷ありのことが思い出されました。 たくさんの人が自分に関わってくれたおかげで、今の自分があるんだと。 それは、衝撃に近いほど...私は忘れていました。 「私」を育てていくために、 いろんな立場の人と出会えるこの仕事に、本当に感謝しかないです。 ●認められたいパターンも居つつ(他のパターンもどうぞ居てください)、 これからもこの環境を与えられていることに感謝しながら、 今まで通りやることをやっていこう。 みなさん、ありがとうございます。

認められたい

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おかげ様で少しずつですが、体調が戻ってきました。 秋晴れのお天気が続き、岩手山もくっきりで、 朝、少し冷えた感じの空気が気持ちいいです。 でもまだまだ、夜は早めに休んだり、食べ過ぎたりしないようにして、 時間をゆっくり使ったり、体を休めながら生活しています。 ●完璧にやりたい というパターンに語りかけをしていましたが、 先日、思いがけず自分へ向けられた言葉に教えられました。 それは、私にとってのすごい褒め言葉の会話。 この瞬間、もしかして、私、こんなふうにずっと認められたかった? ●自分の仕事を認められたい パターンが助けを求めているのは、こっちだったんだ・・・ と気づきました。 完璧にやりたいのではなく、 パターンは誰かに気づいてほしくて、認めてもらいたくて、 だから完璧を目指そうと思った。 その自分へ向けられた言葉に、肩の力が抜け、 「そうだよね、あなたは自分の仕事を認められたいって思っているんだね」 そう語り始めた瞬間に、涙がどっとでました。 どれだけ、自分のしていることを他人から評価され、認められたいと思っていたのか。 そういう自分がそこにいたんだね、って、 分かってあげられたことで、とてもほっとしました。 ●認められたいというパターン・・・ このパターン、まさかないよね~あなた。 と、黒パターンが脅すように耳元でささやいていたような感じがします。 ちゃんと、そこにあるものを見ようとせず、 すり替えていました。 新たな選択(白パターン)として、 「自分の成長のために仕事をしていこう」を選びました。 誰かに評価してもらうためではなく、認められる言葉があってもなくてもいい。 この仕事を、自分の魂の成長のためにどんどん使っていこう。 神様がヘルプを出してくれたように思いました。 度々出てきて教えてくれる、認められたいパターン。 次出てきたときも、見逃さないように(ごまかさないように)あなたをお守りします。

完璧にやりたい

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体がとても疲れています。 このところずっとお腹が痛かったり、頭が痛かったり、だるかったり。 そうしているうちに、昨夜はとうとう熱が出ました。 仕事を休みたいけど、今日はどうしても行かなければならない所があり、 「できる限り、体をいたわりながらやり過ごそう」 という選択をして今朝は出勤しました。 精いっぱい余計なことをしないように、明日に延ばせることはすべて延ばし、 必要最低限のエネルギー(顔も最低限)で、 なんとか1日を追えることができました。 お風呂に入りながら、体をなで、 大変なことさせてごめんなさい。 頑張ってくれてありがとう。 本当にごめんなさい。 と謝りました。 ●仕事を完璧にやりたい というパターン。 これがあるからといって、完璧な仕事をしているわけではありません(むしろ、逆)。 どうしてあなたは、そんなに完璧にしたいの?と聞くと、 完璧じゃないと、ミスがあるってことだし、 自分のせいで何か失敗するかもしれないし、 相手に迷惑がかかったり、責められるかもしれない。 そういう、あらゆるマイナスのことに遭遇したくないって、 出来るだけスムーズにうまくいきたいんです、と言っている。 いつも利用者さんたちに、 「失敗していいんだよ」 と言っているのに、自分は失敗したくなかったんですね。 うまくいきたい気持ちがすごくあった。 そうやって、何事もなくスムーズにいくと、 「自分ってすごいなあ」 ってパターンは思いたかったんでしょうね。 私はこのように自分で自分を忙しくしてしまうことがよくあります。 家事ができなくなるくらい、全力で仕事をして、ソファーで倒れるように寝てしまったり。 自分の体の状態(体力)と仕事の許容量が、 この年齢になってもよくわかっていない・・・ 夏の疲れ、旅の疲れ、 それに慣れない日記を書きはじめたり(これは自分の人生に、これまでなかった習慣)。 頑張りすぎないように。 完璧にやりたいパターンへの語りかけも引き続きしよう。 今夜はゆっくり休もうと思います。

きぐるみの中の私

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小学生の頃(たぶん4年生くらい)、 学校帰りにエレクトーンを習っていた時があり、 日が短い季節になると、帰り道は真っ暗で、懐中電灯を照らしながら帰っていました。 今思うと、女の子にあの真っ暗な道(片側が林で、片側にぽつぽつと家があった)を歩かせるなど考えられないと思うのですが、 当時は今みたいに物騒ではなかったし、 車で親が迎えに行ける家庭はほとんどなく、普通なことでした。 家に着くまで時間がたっぷりあったのと、 おばけとか、怖さをまぎらわそうとしたのもあってか、 楽しいことを考える妄想タイムでした。 次第に、楽しいことから、暗闇を歩く神秘さからか、 私って何なんだろう、と妄想するようになりました。 例えば、自分が今見えているものは、本当のことなのかなあとか。 自分がこんな風にいろいろ考えていることを知っているのは、 他にも誰かいるんだろうか。とか... 特に、自分の顔って自分で見ることができないですよね(鏡に映さない限り)。 なんとかして、見たくて目をぐるぐるしたり、 口を尖らせてくちびるがちょっと見えると嬉しかったり。 鏡に映っている顔、みんなが見ている顔って本当に自分なのか? 疑いが半端なかったんです(アホのような話ですが)。 そして、心だけは見えないけど、みんなはまるで見えているようなことを言う。 自分はこういう人だと決められていくような不安と違和感。 本当の心って、自分だけが知っている。 みんなが見ているのは、本物とは違うやつだよー 子どもの私にとって、宇宙最大級の疑問でした。 まるで、自分という着ぐるみを着て(当時、着ぐるみという言葉は知らなかったかもしれなませんが、後ろにジッパーが付いているみたいなイメージ)、 本当の私がその中にいて、私以外の人はその着ぐるみの顔を見て、 着ぐるみから発せられる言葉を聞き、勝手に私だと思っている。 私は着ぐるみの中からいつも外の様子を伺っている。 みんなが見ている着ぐるみと、中身の私は違うんだけどなあ、 って思っていた。 そしてもう一つの疑問と妄想は、 死んだらどうなっちゃうんだろう。 死んだらこれを脱いで(死ぬと、着ぐるみは脱げるということはなぜか前提...)、 中身の私はいったいどこに行くんだろう。 両親にも、誰にも聞かなかったと...

子どもって...

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●子どもが苦手 というパターンがあります。 わがままな子どもを見ると、ざわざわします。 子どもは弱くて、守られるべき者で、 未来の宝なんだから大事にしないとね、と言われる。 大人だって弱くて、守られたいし、大事にされたいのに... 子どもっていうだけで、そうしなきゃならないのが、ズルい。 だから本当は特別扱いとか、優しくしたくはない。 パターンはかなりやきもちを焼いている感じだったのです。 そしてまた、子どもはその純粋な目で、 こちらのウソ(本当は可愛いと思ってないのに、可愛いねと言う)を見破り、 何か面倒くささがある、とも思っていました。 子ども好きな方が聞いたら、なんて最低な発言... 日常的に小さな子どもと接していないので、長い年月スルーしていましたが、 今日は丸一日遊ぶ機会があり、 パターンがまた教えてくれたのでした。 昨日から、このパターンに語りかけをしていました。 「苦手なままで一緒にいてみよう」 を選び、無理に遊ばず、嫌なことは嫌だと理由を話し、 距離も少しおいてみました。 子どもに対する苦手意識は、本当に黒パターンが言っているだけなんですね。 子どもはズルくもないし、面倒くさい相手でも何でもない。 付き合い方もいろいろありで、ちゃんと向き合えることが分かりました。 力がまだ弱く、経済力も当然なく、 知恵も知識も経験もこれからの子どもたち。 だから、可能性無限大の子どもたちを、 守り育てていくのは私たち大人の役割なんですね。 苦手意識はまだまだありますが、 あっても大丈夫かも、と感じることができました。 私がこのパターンのケアをするきっかけを作ってくれた子に、感謝です。