人と関わる仕事

仕事柄、精神保健福祉士や看護師の方、
また支援者という肩書がついている方たちとよく話をします。
いろいろ大変な話の最後に、
でも、この仕事っておもしろいですよね~ってなるのですが、
これって共感しているようでそうではないかも、と思いました。

そのおもしろさとは、人に関わるところを言っているのだと思いますが、
もっと深く細かいところでは、
どこにどうおもしろさを感じているかは、人によって全く違うのではないかと感じます。

看護や支援がむずかしい人だからこそ、
その方の症状が安定してきたり、人とのトラブルがなくなったり、また仕事に就いたり、
以前よりもよい状態になっていることを確認して、
自分たちも幸せな気持ちになる(ほっとする)というのは当然あると思います。

でもその幸せとは、相手が望んでいること以上に自分が願う幸せのような気がします。
本当のところは本人にしかわからないけれど、
かたちとして、落ち着いていることが何となくいい感じということではないか、と。
落ち着いているというのは、
自分たちへの相談や訴えが減ったり、関わる時間が以前よりもなくなってきて、
つまりはサポートから遠のいていくというのが一つの目安かもしれません。

少し引っかかるところは、
自分も含め、人に頼られる、誰かをサポートするという仕事が、
その頼られることをどこか期待していたり、
サポートがその人の本当の望むものや、為になるものではない、
自己満足的なものとなってはいないかということです。

自分ではなく他の人を頼るようなった時に、少し寂しく感じたり、
頼られていないのに、ここを助けたい、サポートしたいと考えをめぐらせていたり、
相手の方がそうは受け取っていないとしても、
それを自分はやってしまってはないだろうか?と。
相手は関係なく自分の問題。

いつもいつも純粋な動機で仕事をするって本当にむずかしいなと思います。
また、動機に、自分を満たすためのものが入り混じっていたとしても、
結果的にその方の為になるということもあります。

その人にとっていいか悪いかは、極端に言えば人生最後の日までわからないですし、
どう感じているかは、ご本人もわかっていないかもしれません。
いわゆる『落ち着いている』という結果がすべてではなく、
全然落ち着いていないけれど、
本人が選択したことならそれでよかったんじゃないかって思うこともたくさんあります。

純粋な動機で人と関わるというところは、
自分のあり方としていつも意識していきたいし、
一方で、その結果がその人の幸せにつながっているかどうかなど、
わからなくていいと少し思えるようになっています。
そういう自分の変化を感じることが、私にとってのおもしろさなのかな・・・

サポートをするのに、他人のパイプに入る必要はない。
でもここが一番難しくもありわかりにくいところ。
きっと、人に関わることが好きだという人や職業的にそうなる毎日を送っている人は、
他人とのいろんな距離感が何より大事だと思う。

それをする動機と自分のあり方、
また、他人のパイプへずかずか入っていってはいないか?
日々点検中。


盛岡市役所裏Pから









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