自分を主として考える
人を嫌うことに抵抗を持つ方は少なくありません。
そう思うことはよくないことで、
その人をもっと嫌いになりそうで、
正直な気持ちを認めるというのはとても怖いことだと思っていました。
だから、一生懸命に、いいところもあるんですよ~とか、
すごく感謝しているんです~とか、
悪い人じゃないんですけどね~とかいろいろ言って、
嫌いだと自分は言い切っていないように保険をかけるのです。
こんな時、よくあるアドバイスに、
相手のいいところを見ましょう!というのがあります。
でも・・・
イヤだと思っている相手のいいところを見る?
これにすごく違和感を感じたら(私はめちゃめちゃ感じた)、
自分には健全な心があると思って大丈夫です。
そもそも相手のいいところが冷静に見て理解できていたら、
こんなに苦しくはならないのです(それができないから困っている)。
相手のいいところを見ようと努力するのが悪いわけではありませんが、
それをやってしまうと、
自分の正直な気持ちに蓋されてしまうような気がします。
気持ちを無視して、頭で無理やりいいところを認めようとしても、
それはパフォーマンスでしかありません。
自分にとって本当のことが何なのかわからなくなってしまう。
それよりは、
この人がいることによって自分にどんないいことがあるのか?
ここを考えてみたい。
あくまで自分にとってのプラス(利点)に注目してみる。
世間一般的に見たその人の長所ではなく、
あくまでも自分にとって、自分だけを対象として、自分に気づきを与えてくれるものは何なのか?
これは損得勘定ではなく、自分を第一に、大事にするという視点なのだと思います。
例えば、私だったら、
嫌いだと思う人がいるから、自分という人間をより深く知ることができる。
これにつきます。
また、自分のパターンをケアする題材にもなってくれる、という利点があり、
自分のパイプの中にその人を入れない、という練習にもなります。
現実的には、その人と関わらずに済むように(何か言われないように)、
知恵と工夫と、何かを身につけるという努力も講じられるかもしれません。
自分を主とした見方になると、
自分はその人を介して、何を怖がっているのか、何が不安なのか。
嫌うことで自分を防御していたことも見えたりします。
自分をおびやかすものは何なのか?
きっとそこに、
自分が最も見たくないものが隠れているのだと思います。
クリスマスローズのつぼみ発見 |
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