感覚が教えてくれるもの

お昼にナポリタンを食べた時、
アツアツでうっかり舌を焼いてしまいました。
出来立てなんだから熱いのは当然なのに、
早く食べたくて(しかも大口で)こうなってしまいました。
でも、ふと気づいたのですが、
ここのところずっと食欲がなかったのが、
舌を焼くほどの食い気が戻ってきた・・・という証拠。

昨日、恵方巻を食べたあたりから、
食べ物が美味しいと感じるようになり、
いつもの、食べるの大好きな自分に戻ってきている感じがします。
ほんの少しずつですが、寂しさが癒えてきたのでしょうか。
体ももうそこには留まらず、
元気になっていこうとしているのがわかります。

人間が肉体を持って、この地球に誕生しているということは、
体の変化で心の状態を察知していくことにも一役買っています。
肉体があれば、寒い、暑い、痛い、かゆい、だるい、気持ちいい、
そして、太った、痩せた、病気した、疲れた、肩こった等々
毎日、体のどこかを感じている部分があり、それが感覚というもので、
感情と同じように自分だけのセンサーになります。

例えば、胸が締め付けられるように感じるのは、
実際に心臓を締め付けてはいないけれど、
精神的にぐっと押さえつけられるようなものを自分には感じられているということ。
手に汗にぎるのも、自律神経の反応でもあるけれど、
心の緊張や不安が反映されているということだったりします。

そうやって、心の状態とつながり、いち早く反応していると考える方が自然なのかもしれません。
もちろん、人間の人智を超えたところの肉体の変化もありますが、
治るもの(治療や手当てができるもの)であれば、
おそらく心の中にも、
直りたいもの、変わりたいもの、気づきたいもの、癒されたいものがあって、
肉体を通して表現されている。

そこへの万能な薬は、自分への愛です。
誰かから送られる愛というのもありますが、
まずは、自分が自分へ向けて、どれだけ愛おしく大切に思う心があるかどうか。
自分を理解する、認める、謝る、ねぎらう。
つらいんだね、不安なんだね、嫌だったんだね・・・と言ってあげる。
そんな気持ちを、私がちゃんとわかっているからねって。

自分を愛すると言っても、
とても漠然としていて測れないものがありますが、
そこに指針となるものが、感覚です。
清々しく、軽く、広がりがあり、希望がみえ、心が温かくなっていく。
そんな自分だけにわかる感覚を持てたら、
それが、愛で自分を満たしているということなのだと思います。

肉体を持っているからこそ、心と魂の学びが深まるのだそう。
たしかに、体調不良のときはすぐに、何で?って考えてしまうので、
その何で?というところを、自分の内側への問いかけていくといいのでしょうね。

さて明日は・・・何を作って食べようかな。




サーモンの恵方巻 うまい!










コメント