愛されたい

●あんな言い方されたくなかった
というパターンがあるとき、
じゃあ、どう言われたかったんだろうって考えます。

もうちょっとだけ優しい言い方してくれたらなあ~
って思うことがあります(←私の場合)。
他にも・・・自分のことを邪険にしていない、粗末にしていない、
乱暴ではなく、冷たい感じではなく、無関心ではなく、見下した感じでもなく、
自分のことをちゃんと尊重しているような、信頼しているような、
そういう言い方だったらいいって思っている。
要するに、自分のことを少しでも大切に扱ってほしいのだと思います。

そんなとき、
言ってほしかった言葉を相手は言ってくれなかったので、
そこをあえて自分に向けて言ってみます。
「そうだよね、あなたは、〇〇〇〇〇って言ってほしかったんだよね」
そうすると、
心の中でほっとしているパターンがそこにいたということがわかります。

でも・・・ほっとしたのもつかの間。
その言われたかった言葉を何度か自分に向けて言っていると、
これはこれでまた、今度は気持ち悪さが芽生えているのも感じます。
言ってほしかったはずなのに、それはそれで落ち着かなくなる。

この相反する感じは、
本当は他人から言ってもらいたいと思っていない「私」がいるからだと思いました。
本当の「私」は、そういうものは何も求めていない。
「私」って愛そのものだからです。

パターンはとにかく他人で自分を満たそうとします。
もっと自分を大切に扱ってほしい、尊重してほしい、信頼してほしい、
褒めてほしい、認めてほしい、かわいがってほしい、愛してほしい・・・
愛してほしいなんて、
まさかそこまで要求していないよと思うけれど、
確かにそういうものがあるので騒ぐのです。

小さいころに、
親や先生、周囲の大人たちから愛をたくさんもらったという体験がないと、
そういうパターンが刻まれることがあります。
でも、たくさん愛されて育ったという体験があってもなお、
愛されたいというパターンは人にはあるように思います。
それも、『自分が思うような愛され方』をのぞんでいる。

何をもって愛されているかという判定は、
自分の(パターンの)基準なのです。
自分が思うような言葉、話し方や表情、態度、行動、感じるものがほしいのですね。

あんな言い方をされたくなかったと思うときは、
寂しがっているパターンに気づいてあげることができます。
そしてそれと同時に、
今の自分は、自分で自分を愛せていないんだなあ・・・とわかる。
パターンが騒いでくれるからこそ今の自分の状態を知ることができます。




モネ、見たい!











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