奉仕って何だろう

奉仕とは、一般的には他人に対して自分の利害を考えずに尽力することをいい、
宗教的には神に仕えるという意味もあります。

どちらの意味でも、
見返りなど求めず、自分を失くして、
心の底から誠意をもって自分以外のものに尽くす(働く)ということなのですが、
これって、すごいことだと思いませんか?
これほど尊い行いは、この世にはないのではないかと思います。
そこにあるのは、愛だけ。
自分はそういうものを一生かかっても持てるものだろうか・・・

先日、夜に一人で過ごしていたとき、
その、奉仕という言葉が頭に浮かんできました。
奉仕をする、奉仕の精神で・・・
なんて自分に似つかわしくない言葉だろうって思いました。

これまで、そういう経験ってあっただろうか。
家族が病気になったりしたとき、
何も考えずに必死に看病したということはあった。
でもそれは、自分にとって大事な人だからできることだし・・・。
言葉の深い意味を追求したいのではありませんが、
奉仕って何だろう・・・と考えています。

一番ぴんとくるものは、
あまりにも崇高すぎてできると思えないもの。
だから、その言葉が浮かんだ時に胸のあたりがざわざわしていました。
うっ・・・怖い、なんだか怖い。

何というか、
それが自分にとって、これから向き合うべき課題のような気がしたのと、
まったく見返りを求めずにやっていくということが、
どんなに難しいことかを自分自身がよく知っていると思ったからです。

小学校の道徳の本に、奉仕するという話が出てくるたびに、
いい話なのにどこか苦しくなってしまうような感覚がありました。
例えば、道に落ちているごみを拾ったり、
困っている人がいたら声をかけたり、
そういうことができないわけではないけれど、
そういう人間は、無理しているということが本当にまったくないものなのだろうか。
という疑問があったのです。

また、自分のような人間がそんな尊いことができるはずがない。
そんな背伸びをしてはいけない。
と思っているふしもあるかもしれません。
というパターンもあるくらいですから。

でも、本当はもっと成長したいと思っている。
それなのにできるはずがないというところへ意識を向けていたら、
自分が自分に制限をかけていくことになります。
あれこれ言い訳をして(パターンのせいにもしているし)、
怖いことには挑戦する勇気がないだけなのです。

何でも完璧さを求めてしまう癖があるので、
奉仕という言葉に、その重さを感じているのかもしれません。
本当にできないことなのかどうか、
それを本当は知りたがっている自分もいます。

尊い行いであることには違いないとしても、
自分にとっての奉仕とは、もっと気楽に軽さをもって、
自分が気になるからゴミを拾うように、
自分が声をかけたいから声をかけるように、
自然に沸き起こるもので動いてみてもいいのかなと思います。



この後、どっと雪が降りました












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