幸運なときの謙虚さ

【夜と霧】の著者、精神医学者のフランクルが言った言葉の中に、
気になったものがありました。

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真の勇気が試されるのは逆境の時ではない。
幸運な時どれだけ謙虚でいられるかで試される。
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一度だけ読んだときは、
え・・・、逆境のときの方が、人間っていろいろ試されるんじゃないの?
と思ったのです。
でも、自分自身を振り返ってみると、
苦しいときこそ、何かをするという覚悟はしやすいような気がしました。
真の勇気というところを、もう少し深く考えてみたいです。

普通では考えられないようなことをやれた・・・
そのために勇気をふりしぼった・・・
という経験は、
何かから逃れたいという気持ちが強ければ強いほど、
そこへ向かえるのではないかと思います。
そのために必要なのは、むしろ勇気しかない。

でも、それに対し、
幸運を感じているときは、何を私たちは試されているのでしょう。

あえて勇気をもつ覚悟をするようなこともなく、
何かを変えたいという緊迫感もなければ、
自分が変わっていきたいともあまり思いません。
苦悩がない幸せというのは、そこには成長というものがあまりないのかもしれないですね(苦悩がある幸せ、とは違うから)。

人間が成長したい生き物である限り、
幸福感だけでは、自分の人生を生きたとは言えないような気もします。
成長していきたいというのはとても大事な感覚なのだと思います。

その大事な感覚が、
幸運を感じているときは捉えにくくなっていて、
大事なものが本当に目を凝らさないとよく見えなくなっているのだと思います。
よく聞こうとしないと聞こえず、
「自分が、自分が」では、本来感じらるものも感じられなくなっていくものなのだと思いました。

また、不運なときよりも、
幸運なときの方が、傲慢になりやすくもあります。
すべてが奇跡ではなく、すべてがあたりまえのように感じてしまうからです。
この状態で深く物事を捉えたり、
感謝の気持ちを持ったり、自分が生かされて生きているという実感を持って毎日を過ごすような境地には至らないのかもしれません。

謙虚とは、
自分よりも相手を優先し、相手を思いやり、相手のことを考えること。
そして、それは自分が引く、控える、慎む、負ける、退く、陰となること。
幸せを感じているときこそ、そこへの勇気を持てるのかが問われるのですね。
自分を捨てて謙虚な気持ちでいられるかどうか。
真の勇気にはやはり厳しさがあります。

とても難しい問いかけ。
でも、フランクルのこの言葉に惹かれます。



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