嫌いという感情について



カウンセリングを学ぶようになってすぐ、
なぜか自分の周りにいる人たちがどんどん嫌いになっていく・・・
ということがありました。
今でこそ、その現象は不思議なことではないのですが(自分に正直になっただけ)、
当時は、どうしてこうなってしまうんだろうと、
人に対していちいち鼻につき、
怒りの感情や不快感がわいて仕方がなかったのです。

何よりそんな自分自身がとても嫌でした。
そんな自分、というのは、
他人からよく思われたい自分。
誰とでも仲良くできる自分、他人を嫌わない自分ではないことを突きつけられていくような感じがして、
ものすごくつらかったのです。
そういう自分ではないものがどんどん出てきたのは、
心というより、
自分という存在全体から何か毒でも吐き出しているような感じだったと思います。

これらは、みなパターンであって本当の「私」ではないのですが、
はじめはそこがはっきりと分離されていないので、
すぐに感情にふりまわされてしまいます。
頭では、大丈夫(嫌っていいんだよ)と言い聞かせても、
やはり他人を嫌うということにとても抵抗があったし(嫌っているのは事実なんだけど)、
それを他人に悟られるということも怖かったし、
嫌っていないふりをする自分も、
はらわたが煮えくり返るように怒っている自分も、
どちらも最低だと思っていたと思います。

パターンへの語りかけや、いろいろなワークをしながら、
一歩進んで二歩下がるようなスローペースでしたが、
他人をどうしようもなく嫌いだと思う自分自身(←パターン)を、
それが今の私なんだから、いいのかな・・・
とやっと少しづつ受け入れられるようになっていったように思います。

『嫌い』に対する捉え方も変わってきて、
何に対する拒否感、抵抗感、恐怖心なのか、
自分の中にあるパターンの傾向がそういうことを通して少しだけわかってきた。
そんなような感覚を持つようにもなりました。

あの人のこういうところが受け入れられない、というのは、
全部、自分がされたくないパターンが反応しています。
だんだんそこが冷静に分析されるような、分離されるような、
自分とは全く別のところで起きている・・・
そう感じられることが増えてきたように思います。

この頃また新たに感じられているのは、
なぜ嫌いだった人がそうではなくなっていくのか?という事には、
単なる自分の中のパターンに引っかからないということが一つあります。
これは語りかけをしていったところが大きく、
私自身がもう、人を嫌うことが最低でも人でなしでもなんでもないと、
心底思えているからだと思います。

それともう一つは、
嫌いだと思うと顔を見たくもないし、声も聞きたくないし、気配も感じたくない。
一切自分の世界からシャットアウトしてしまうと思うのですが、
そのシャットアウトが薄れていくと、相手の世界が垣間見えるようにもなり、
以前よりはほんと少しなのですが、理解できるところが見えてくる。
ということが大きいなと思いました。

理解なんかしたくない、そんなもんできるもんかと思っていたけれど、
嫌ってもいいと思っていると、
堂々とその人を観察する力も備わり、
そこには以前よりは冷静に物事を捉える力もあり、
そして、こういう人だったんだというものの中に、
自分の感情が何も反応しない部分(それが理解につながる)があったりするのです。

この理解はまだまだ未知数ですので、
これからやっぱり理解に苦しむ(だから腹が立つ)
ということも起きてくるかもしれません。
大事なのは、それで自分自身がとても楽になったということ。
そこを感じられていればいいのかなと思う。

まだまだ『嫌い』についての発見はこれからもつづくと思います。
パターンが引っかからなくなると、
自分はどういう行動をおこすのか?
そこは、自分がしたいこと。
好きではない人の前での私のあり方でもあるので、
今、少しづつやってみているところです。

何かまたわかったことがあれば書いてみようと思います。





コメント

匿名 さんのコメント…
読み応えある記事をありがとうございます。

私は、まだ、人を嫌いになってばかりの渦中です。
これまでのように取り繕えなくなってきています。
一ミリも自分の気持ちに無理ができない。

今できることは、関わらないことが精一杯。

自分で見たくない自分を
見せつけられるモヤモヤ。
ただただ観察しているところです。

pyon さんの投稿…
お読み下さりありがとうございます。

苦しいときは、
関わらないようにすることも、
自分を守るためにとても大切なことです。

物理的距離をおきながらも、
ご自身を観察されているのは素晴らしいことだと思います。