少しだけ・・・

先日の日記にも書いたことなのですが、
年をとっていく母に対して、優しくなかった自分。
その後振り返ってみて、本当のところは、選べる白を作っていなかったんじゃないかと思いました。

しっかりしてほしい、話しが通じてほしい、何度も同じ話をしないでほしい、すぐに忘れないでほしい・・・
という黒パターンたち(総称すれば●自分の思い通りの母でいてほしい、というパターン)。
母と一緒にいる時間の中で、3回、4回、まだまだ続く同じ話。
こちらも聞かれればまるではじめて話すかのように、何度も説明しなければなりません。
そういうとき、イライラがたまって、いい加減にしてくれーーー!
って思うのですが、
そこに、「私」を登場させて、
〇自分の思い通りの母でなくてもいい、はちょっと選べないのです。
自分に余裕がないとき、疲れているときは、その白はハードルが高いのだと思いました。

そこで・・・
今までと少し違う白を作ってみました。
この白ならば、実際の生活の中で確実に無理なくやっていけるであろう、というところを選ぶ。
これが何だかとても自然でよかったです。
そして、何よりあっさりと、簡単に行動に移せます。

今回作った白パターンというのは、
○少しだけ、話を聞いてみてもいいのかもしれない、です。
「少しだけ」というのは、3~4回くらいまでかもしれませんが、
はじめから、母と一緒にいるときは、その白を選ぼうと決めます。
そうすると、ちょっと心にゆとりが持てて、
ほうほう、その話ね~と、
しばらく繰り返されていっても、淡々と聞いていられるのです。
内容によっては、最後まで(自分が家に帰るときまで)引っかからなかったということもあります。
起きていることはいつもと変わらない状況なのに、やはり白で行動する自分側の状況はこんなにも違うのです。
母の笑顔とともに穏やかに落ち着いていられました。

「少しだけ」というのは「ずーっと話を聞く」ということではないので、とても気が楽です。
「それ、もう同じ話、5回目だよ~」
と言った自分は、これ以上は我慢しなくていいかなと、
でも、とても軽くスカッと、落ち着いて言えたように思います。
これがはじめから黒パターンで言うとなると、母の受け取り方も、重く悲しく不快そのものになるだけ。
自分自身も同じ気持ちになってしまいます。

白パターンを作る際に、ちょっと理想の自分が浮かんでしまうのかもしれません。
自分がまだそこまでいっていないのに、いけるような気がして無理してしまうということがあります。
「そうしたい」というのと、「そうした方がいい」「そうなりたい」というのは、違うんですね。
「そうしたい」の積み重ねが、
いつしか自分の思い通りの母でなくてもいい、と思えるようになっていくのかもしれません。

頼りにするのは、本当の「私」がその白をどう感じ取っているのか。
感覚はそのときどきでいろいろですが、
ふわっと軽くなるような明るさもあったり、広がりがあったり、
さわやかな風が吹くようなすがすがしさ、落ち着き、安心感、も感じたりします。
背伸びせずに作った白ならば、ちゃんと感じるはずなので・・・
ときどき確認してやっていこうと思います。












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