違う星からやってきた
この人がいるとなんだか安心する・・・
自分が穏やかでいられる、自然体でいられる、無理しないでいられる、というのは、
自分のパターンが騒がない、フラットな状態ということでもあります。
そういうとき、
その人の動き、表情、話し言葉、態度、しぐさ、やっていることを観察をしてしまいます。
いったいどの部分に自分は良さを感じているのだろうか。
自分との違いは何なんだろうって思う。
人との違いを感じると「比較する」ということをしてしまいます。
比較するときに陥ってしまうのは、
自分がその人よりも優れているのか劣っているのか、と考えてしまうこと。
ただ単純に自分よりもこういう能力があって(整理整頓が上手、料理が得意、運動神経がいいなど)、
こういうものをもっていて(国家資格をもっている、会社を経営している、子どもがいるなど)、
ああこんなに自分と違うものがあるんだという、ただ「知る」ということでよいはず。
なのに、自分よりこれが優れている、これができている、ここがすごい!だから自分はダメだ、
といった、いい悪いの評価が入ってくるというところがやっかいだなあと思います。
ですが、この比較ではないところで、
純粋に違いを知って、
例えていえば、
こちらの心がすーっと広がるような軽くなるようなそういう気持ちにさせられる、という人たちがいます。
それが、今の若い人や、子どもたちです。
人と人、魂と魂の違いを感じるといったらいいでしょうか。
なんだか違う星からやってきた新しい人類・・・という感じ。
自分には見えていないもの、感じられないもの、考えがつかないものがあって、
これは悲しいこと、これはつらいこと、これはがんばるべきこと、これは楽しいこと、
などといった決まり事や、枠がないように思います。
よく、今時の若いもんは~っていつの時代も年配者が若者に向けて言ったりしますが、
若気の至りとか、若さゆえのぶっ飛んだ感じとは違う、そもそも住んでいる世界が違う。
でも、そんな新しい人がいるということが、自分にとってとても嬉しいことです。
関われること自体がとてもありがたくて、いろいろ教われることに感謝なのです。
そして、我が娘にも同じようなことを感じます。
小さい頃からなんかどっか違うというか、変わっているというか、理解に苦しむことがたくさんあったのです。
というのも、わたし自身がそこに順応する下地がなかったんだなあと思う。
人と違うということに、随分抵抗していたと思います。
すでにいろいろなことが自分を取り巻く世界で変わり始めていたのに、
全然自分がそこに追いついていなかったのです。
それが、こうして「新しい人たち」と出会うことが多くなり、
ああ、違っていていいんだとやっと気がつき、
それでいいんだ、という安心感を覚えました。
そんな新しい人たちに(娘も含め)、自分は何かできることはあるだろうか?
と最近考えるようになりました。
自分の経験はあまりにも古すぎて、役に立たないものも多いかもしれません。
でも、相手が要るいらないはあるとして、
知っていることは全部惜しみなく渡していけたらいいなと思います。
使えるものがあったら、どうぞ使ってください。
これは絶対だと大事にこだわってきたものの中に、
もしかしたら手放していいものがあるかもしれません。
変化のスピードが速くなっている今、そこについていきたいです。
コメント