家とわたし

本当に興味があるもの、やりたいことというのは、
自然に体が動くようになっていて、
それは小さい頃から何ら変わらない法則のように思います。
この学びがそうです。
先生がお元気でいてくれるかぎり、
また自分も元気でいられて、その場へ行かれる環境があって続けられるものですが、
何より自分の学びたいという意志が、
そういう現実を作り出していると思うのです(特別、意識はしていないけれど)。

そういう体が勝手に動いたということの一つに、
先日、改築した古家を見に行くということがありました。
築100年越えている家は、以前からなんとなく視界に入っていたお宅で、
周囲がどんなに変化しようともずっとそこにたたずみ、
家にしてみればどんな気持ちで、
明治、大正、昭和、平成、そして令和とその風景を見てきたのでしょうね。
そんなタイムスリップしたかのような、その空間を感じてみたいと思ったのでした。

新しい主人ができて、手がかけられ、人が集まり、風が入り、家とともに生きてきた木々が手入れされ、
それは本当に気持ちよい空間で、家がとても誇らしげに喜んでいるように感じました。
この、「家」という一つの歴史と今ある世界に、自分が重なります。
自分にもそういう歴史があって、
その歴史で積み上げられてきた自分と自分をとりまく世界(作り出した空間)があるのだと思います。

魂の道場で学ぶという今の自分にたどりつくまで、
長い長い歴史と、必要な段階があったのではないかと思います。
もっと早く、若いうちからこういうことを知っていれば、もっと楽に生きていたかもしれないし、
人を傷つけたり、自分を傷つけたりしないで済んだのかもしれない、
そんなふうに思うことはありましたが、
今の自分でなければ、心に、体に、沁みわたらせることができなかったのだと思うのです。
これまでの自分の歴史(前世も含めて~)と、
今生きている時代、そして日本という国に生まれて・・・だからこそ叶っているもの。

古家も100年前は今とはまったく違う暮らしだったのでしょうから(囲炉裏があったそう)、
今は今の時代に合った使い方で、また息を吹き返し、
戸惑うことなくただこの家で暮らす人たちを、また変わらず見守っていくように思います。
ということは、
自分の今住んでいる家も、自分たちを見守ってくれているのですね。
週末は感謝の気持ちを込めて、たくさんお掃除をしてあげようと思います!

本当の「私」も、そんな家たちのように、
「私」の中で生きる住人たちを受け容れ、いつでも見守ってくれているんだなあと思います。
だから自分も、これをしたいなあというものに、これからも安心して尽き動かされていっていいんだと思うし、
「私」とともに生きられることに感謝しながら、磨かれていきたいなあと思います。


















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