違反きっぷ

過去の失敗について思い出したくない、人に知られたくないほど恥ずかしいものがあります。
しかも、それらが本当に山ほどある自分です。
先日も、恥ずかしいというのもそうですが、悔しい、情けない、大馬鹿者と思う大ミスがありました。
車を運転していた自分の目の先には、警察官がたまたま二人立って話をしているなあって思ったのですが、
その警察官の目の前にあった『止まれ』で一時停止をせずに、ブーンと車を走らせてしまったのです。

「今、何をしたかわかっていますか?」
と駆けよられて、
聞かれた相手が相手だったので、交通違反をしたんだな自分は・・・とすぐにわかりました。
目の前が真っ暗になり、それはそれはショックの何者でもない。
はあ、何やってるんだ自分・・・

警察官は威嚇するわけでも怒鳴るわけでもなかったけれど、
たんたんといかに危ない行為をしたかを説明。
また、今回の罰金を払わないとどうなるか、減点はこうで、免停はこうで、ゴールド免許はブルーになって・・・
などなど、いろいろな話があったけれど、心臓がバクバクでほとんど頭に入りませんでした。

しかし、こんなときも、
とっさに自分のことを観察していました。
こんな状況で、自分はどうやって白を選ぶのか。
それ以前にパターンは何?
こんな状況に、パターンとかあるの?違反は違反。

すると、もう本当に驚いたのですが、
な、な、なんと、
●自分は間違っていない、というパターンがぬ~っと顔を出しているではありませんか。
そして、さっきの場所に標識が本当にあった?と疑い、
道を戻って確認しに行ったのです(もちろん、あった)。

そして、確認がとれた後も、
でも、減速して自分はほぼ止まっていたんじゃないか、歩行者や車も来ないことは確認していたよなあ・・・
などと、この場に及んでもなお、自分のしたことをどこか一ヶ所でも正当化したかったのか考え続けました。
夫にその話をすると、あきれ顔を通り越して、軽蔑のまなざしと共にものすごいカミナリが落ちました。

車を毎日運転する自分は、この体験で、本当にあらためて目が覚めたような思いです。
どんな状況であれ、自分が本当に間違っていたんだろうかとか、
相手が間違っているのではないかとか、
できる限り、自分の非を認めたくない、最小限にしたい、と思うパターンがいるんだなと思いました。

その逆もしかり・・・ですが。
自分がいつも悪い、いつも間違うのは自分、というように一見謙虚そうな考え方も実は、
自分がいつも正しい、いつも間違うのは相手、という次元と同じです。

大きな事故につながる前に、交通ルールを意識する機会をしっかり与えられ、
本当に人も車もいなくてよかったです。
気をつけて車の運転も、歩行者としても、ちゃんと周りを見て歩こうと思います。











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