パラリンピック

パラリンピックをはじめて今年TVで見ました。
なんてすごい大会なんだと、今までこんなすごい大会をTVで見られなかったことが、
とてももったいないと思いました。

有名になった大会の意義に記されている言葉、
「失ったものを数えるな、残された機能を最大限に生かそう」
これは障害者でなくても、壁にぶちあたったとき、心に刻むべき大切なことだとしみじみ感じます。

わたしの周りには、車椅子の方がいるということもあって、
やはり車椅子の競技に注目してしまいます。
足を使えない生活を余儀なくされた人生の中で、
スポーツを通して自分を極めていく姿に、何も感じない人はいないのではないでしょうか。
自分の足で立てない、行きたいところへ行けない、
という制限された人生(自分の知っている人は、結構どこにも行けるよと言っているが)。
そうではない人たちを見て、何を思うのだろう。
そんなことよりも、もっと大きな自分との対話(戦い?)がいやおうなしにあるんだと思いました。

かたや、肉体に制限はないけれど、
心に壁を持ちながら、
自由に生きられない、どうしてこんなに思い通りにいかないんだ、世の中不公平だ!
と嘆く人もこの世にはたくさんいる。
動く手足、動く目、動く口、動く耳、動く頭。
パラリンピックを見ていると、本当に障害って何なんだろう・・・と思います。
苦悩の形は違っても、
その人がその苦悩を糧に、どう生きていきたいかの思いで、
こんなにも人が放つ輝きが違うのだと、
選手たちを見て本当に圧巻というか、言葉にならないくらい胸打たれるものがあります。

個人的には、車椅子バスケに目が離せませーん。
バスケットという競技以前に、
なんであんなにくるくると自由自在に車椅子を使えるの~?
まずそれがすごすぎて、
もう純粋に見ていてこんなにおもしろい競技はないなあと思いました。
五体満足の人と同じような練習も肉体改造もできないのではないかと思った自分が、本当に浅はか。
並大抵の努力ではあの動きにはならないでしょうね。
本当にかっこよくて、おもしろくて、元気をもらいます!

それからもう一つ、
今回はじめて見て、とりこになったのが、ボッチャ(この響きがなんともかわいい)。
肉体機能を最大限に生かすバスケットとは対照的な感じがあります。
脳性まひの方が、残されたわずかな体の機能を使いながら、
精神性を高め、知性を高め、一球に集中する姿は、
生き方そのものを見せられているようで神がかって見えました。
金メダルをとった杉村選手は、競技人生20年だそうです。
フランクルの言葉にある、「肉体よりも精神性」そのものを体現してきた姿ではないかと感じました。

なぜこんなにも自分はパラリンピックに感動してしまうのか。
障害があるのにがんばっているから?
・・・というところも確かにある。

でも、それ以上に、
選手たち皆さんが必ず口にする、「感謝の気持ち」に圧倒されてしまうのだと思いました。
メダルを取れたことも参加できたことも、すべて自分以外の人たちのおかげだと、どの選手も話していました。
自分のことよりも、支えてくれた人たちへの思いがあふれているのが本当にTVを通して伝わってきます。

そしてまた、戦った選手同士が交わす「敬意の姿」にも胸打たれます。
どんな苦労を自分がしてきたかなど語らなくとも、
どれだけの人に支えられて、そして自分たちもそれに応えてきているのか、
競技が終わってすぐに、相手選手にかけより讃え合う姿を見ていると、
世界中がこんなふうに手を取り合って生きていけたら、
どんなに素晴らしい世界になるのだろうと思いました。
相手方に対する敬意と称賛と感謝が、これほど伝わってきた大会を見たのははじめてのように思います。

後半も、車椅子バスケ男子の準決勝と、ボッチャ団体戦があります。
そしてまだまだ知らない競技もあるのでそちらも楽しみ。
たくさんの子どもたちに(元気のない大人も)この大会を見てほしいなあ。











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