失礼かどうか

失礼なことを言ってしまわないだろうか?
そう思うと不安になっていくのがわかります。
自分が嫌われてしまったり、失礼な人だという印象を相手に持たれてしまったら、
やはりその後のしたいと思っていたことがスムーズにいかないのではないだろうか。
それによって自分だけに跳ね返ってくるならまだしも、
誰かに迷惑をかけてしまうようなことになったら、と思うと、
やはり、自分と関わる人のために失礼なことがないようにしなきゃ、と思うのです。

昔から、空気を読むとか、これは相手に言ってはいけない言葉なんだろうなとか、
そういうことを察知するということが苦手でした。
指摘をされてはじめて、そうなんだと気づく・・・
これって、そういう風に受け取られるんだ・・・
そうやって、一つ一つ、
空気を読むとか、マナーだとか常識だとか、暗黙のルールとか、失礼になっていないかどうかとか、
というたぐいのことを頑張って覚えていきました(これも、単なるその人のパターンなのだが)。
それでもいまだに、
どっちとも言い難い、中間的な感じのものが、自分の中には多いように感じるのです。
白黒つけられないようなものがたくさんある。

それゆえに、白黒つけたくなってしまうという矛盾したことをやっているのです。
どっちかはっきりさせなければならない。
また、そうした方が分かりやすくて、らくに違いないと。
これは失礼なことで、これは失礼ではないこと、
というように分かる人になっていきたい、と思っていたように思います。

でも、結局そんなはっきりとわかる物差しのようなものはなくて・・・

相手を責めたり、非難したり、というつもりが全くないのに、
そういう風に受け取られてしまうことがあり。
他の言い方が見つからないので、今思い浮かぶ言葉を使って言ったら失礼な感じになってしまった、
というようなことがあり。
そうやってたくさんの失態?を積み重ね、もうここから抜け出したいと思ったけれど・・・
これは、どうやったら白か黒かはっきりわかるようになるのか?ということが焦点ではなく、
どうして、そこがわかる人になりたいと思うのか?
というところなんだなあと思います。

失礼なことをしないとか、誰かに迷惑をかけないとか、
そういうことを考えるって、すごくまともで常識的で、
人間関係を大切にしているように見えるけれど(それも、確かにあるが)、
それがパターンだとしたら、どうでしょう。
相手からどう思われているのか、どう思われていなければならないのか、
いつも気にするパターンには、緊張と不安と恐れでいっぱいです。

今回、この失礼なのかそうではないのか?ということを、すごく考える場面がありました。
そしてパターンはとても悩みました。
こういう場合こんな言い方をしたら、相手の人はどう思うと思う?
と周囲に聞いて歩いたりした。
結局、いろいろ聞いて、なるほどと思う自分(黒パターン)もいたし、
何一つ自分の中の答えになっていないということを感じた自分(白パターン)もいました。
そして、やはり、一般的には失礼かもしれないが、
そのまんま聞いてみよう、という一番心に引っかかりのない答えを出したことで、
やっと安心と平和な心が戻ってきたのです。

失礼かどうかを決めるのは、相手側の問題であるし、
失礼なことをしてはいけないというところは、自分のパターンの問題です。
もしも実際に相手に迷惑がかかったとしたら(そう言われたりした場合)、
それは「私」がそこへ対応する、白を選んで対応する、それだけなのだと思いました。

失礼かどうかって、正体不明なもの。
そこに一生懸命、そうあってはならないと頑張ってきた自分(パターン)がいたのだと思います。














コメント