「私」を登場させる

人から相談されるというとき、
はじめに起こる感情として、小さなどきどき感が毎回あるように思います。
心臓がばくばくではない、ちょっとどきどきする感じというのは何なのでしょう。

自分を頼ってくれたことに対してのうれしさがまずあるかもしれません。
それはパターンが、自分は相手の方から頼られていると思ううれしさ。
物事を理解している人間だと思われているとか、知識があるからとか、
人として何か力を持っているのではないかと、
そういう良い評価があるからだとパターンは思うからなのかもしれません(パターンにとっての良い評価)。

もう一つは、もっと純粋なまっさらな感情。
何か役に立てるといいなあ、相手の方の不安がやわらぐといいなあ、
といった、素直に相手の方の気持ちが少しでも軽くなって希望が持てるようになってほしい、
というやわらかな楽しさをもつ感情といったらいいかもしれません。

また、不安が走っての、どきどきもあります。
もしかしたら、自分に相談したことで相手を混乱させたり、落ち込ませたり、何の解決にもならなかったらどうしよう・・・
という小さな恐怖です。
この相談をきっかけに、自分が役に立たないということになったら、自分の価値は下がるんだろうな、
という自分の真価が問われるような緊張感です。
気づくか気づかないかの小さな感情の波を分析すると、このような感じになるのだと思います。

それで・・・
普段はこのような小さな感情の波を、無視していても、
また感じる間もなく時間が過ぎていってしまっても、
何の問題もないかのようにしていることが圧倒的に多いのではないかと思います。
いちいち、こんな小さな心の動きを気にしていたら、生きていけないというくらい、
神経質にならなくてもいいんじゃない?って誰かに言われて、それもそうだな、
で、なかったことにしてしまうのです。

でも、この心の動きを感じているのは自分なので、人から何と言われようが、どう思われようが、
やはり『自分の内側で起きているもの』として見たいと思うのです。
だって、感じてしまったのだから・・・。

このどきどき感が何のパターンであるのか?
そのパターンのまま話を聞かないようにすることに注意を向けること、
ここが必要なんだと思いました。
はじめに湧き起こる感情というのは、一番わかりやすい(気をつけるポイント)一種のサインです。
道を外さないように、本当の「私」をちゃんと登場させるように、というサイン。

自分がどんな気持ちを抱いて話を聞いていくのかは、とても重要です。
自分への評価を気にしながら(そのパターンで)お話を聞いていくのか、
それとも、ただただ相手の方が何に困っていて、どうしたいと思っているか、
相手の方のこととにかく知りたいと思いながら聞いていくのか。

自分の感情を観察しながら相手の方の話を聞くというのは、
同時にふたつのことをやるので、とても難しいように思いますが、
「今、どう思った?快、不快どっち?」
これだけでも自分の感情がどう動いているのか察知することができます。

もしも、話の途中でこの「不快」に関係するすべての感情
(不安、緊張、焦り、いら立ち、怒り、悲しみ、喪失感、孤独感などなど)
をちょっとでも察知したのなら、
この瞬間に今、自分はパターンで話しを聞いているんだなあとか、
パターンが騒いで判断できなくなっている、理解できなくなっている、
というようなことがわかってくると思います(練習が必要ではありますが・・・)。

今、自分が少し難しさを感じていることは、
話の途中で、パターンで聞いていることに気がついたときに、
そこから「私」を登場させていく過程です(ここへの切り替えといったらいいか)。
パターンで話を聞いているときに、すぐに気がつくときもあれば、ちょっと経ってから、
ああ、やってしまった・・・といかにもパターンが言いそうなことがあって、それから気づくことがあります。
そのときに、そのまま突っ走るのではなくて、
一旦、パターンを横に置いておいて、
本来の素の自分、「私」をど真ん中において話を聞き直すということをします(パターンを優しくよけておいて「私」が前に出るイメージ)。

この一連の作業をいかに素早くやるか、ということ。
そこの練習を日々やっているような気がします。
これは、何も相談されたときだけでなく、普段の何気ない会話の最中でもよくあることなので、
課題はいつでも準備されています。

はじめはパターンで聞いたけれど、途中からそこに気付いて「私」に戻って聞くのか、
それとも、はじめは「私」で聞いていたけれど、
いつのまにかパターンが聞いていた、ということがあっての、「私」に戻していくのか。
いずれにしても今日も何かしら練習するタイミングがやってくると思うので、がんばります。










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