起きていることを変える

先入観がなく、ただその経験をしてみる、ということがあると、
はじめからそうなっていると決まっていたかのように、
自然に物事が進んでいくことがあります。
行き詰った感じがなく、焦るということもなく、不安もなく、
自分がだたそこに身を任せていればいい、という感じに進んでいけるのです。

良くも悪くも先入観を持ってしまうのは、
誰かが言った話、事前の情報、かつてのそれへの印象、
そして何よりも、自分自身の今の状態に大きく影響しているように思います。
過去のデータよりも、今の自分の状態がどうか?
そこで経験する内容は変わらずとも、自分が得たものの中身が大きく変わってきます。

かつての自分は、
自分自身が今どんな感情を持っているか(どう思った?)
などと立ち止まって考えたことがなく、
どんな気持ちになっていたとしても、目の前に起こることと何の関係があるのか?
起こることは、もうすでに起こるべきこととしてそうなっているだけだ、と思っていました。

でも、自分がどういう気持ちでそこを体験するかによって、
その現実が変わる、変えられるということを何度も経験していくうちに、
どんなことを今からしようとしているかに関係なく、
自分自身の状態さえフラットになっていれば、大体のことは受け入れられるのかもしれない・・・
と思うようになりました。

これは、捉え方なのだと思います。
例えば、自分のすぐそばで誰かがイライラしはじめた、というときに、
「自分が原因で怒らせてしまったかも」と思うのか、
「何かあったのね」って、
その人に起きていることとして、眺められるのか。
そのことが起こる前から不安がある状態(不安をいつでも察知できる準備が整っている)なのか、
それとも、静けさがあって、軽さがあって、すがすがしさがあって、ほっとする感じがあって、
そういう安心した状態なのか、
いう心の状態の違いが、
起きている物事さえも変えてしまったかのように、捉え方で変わるのです。

ただ、ときとして、
先入観も役立つことがあります。
それは、誰かが言った話や情報をそのまま優劣をつけずに、単語として眺めるように受け取ることです。
単語を並べていくと、
そこにメッセージ的なもの(本来自分が進んでいこうとしている道につながるもの)が浮かび上がり、
そこに導かれるように進んでいくことがあるように思います。
導かれるというのは、感じるままに、抵抗せずにいくこと。
メッセージというのは、頭から離れられないもの、耳に残ったもの、ひらめきや、偶然、連続するものなど、
何かそこから、自分が無意識に求めていた答えが(結果としてよくないものであっても)見える、わかる、感じる、
ということもある。

このときの、何だかいい感じがするとか、何だかブレーキがかかるとか、
パッと感じたもの、
その直感こそ大事なもののように思います。
そういう何かいいような気がするとか、何か気が乘らないとかいうものに、
自分はかなり頼りながら生きている感じがするのです。
直感は考えるという作業がなく、感じ取ったものそのものなので、
実はとてもわかりやすいです。

ここと真逆なのは、思考をめぐらすこと。
大抵の場合、
うまくいかないときは考えが浅かったときだし、だから気持ちより、理論的に分析し考えなさい・・・
という経験が身につきすぎています。
思考力があるというのはよいことだけれど、
使い過ぎて、本来人間が持っている「感」「勘」を鈍らせてしまっていることに気がつきません。
スマホの使い過ぎに気づかないのと、なんか似てますね。

では、どうしたら思考すること以上に、直感力を養うことができるのか?
それは、とにかく日常的に使う・・・(答えになっているようななっていないような)。
仕事中はさすがにね~、考えないとね~、って思うかもしれませんが、
余計に考えないことの方がいいように感じます。
そして、そっちの方がなんとかなっていく・・・

今日も、よく考えるよりも、よく感じようと思います。


















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