誤解を招いてもいい

まさか、自分がこんなことを言う人間だとは・・・
と思うようなことがありました(気づいたら話していた自分にびっくり)。
人の死(自死)について話す自分がいました。
真実かどうかは当然のことながらわからないものを、
自分がたとえ信じているからといって、誤解を招いてもおかしくないことを他人に話すというのは、
以前の自分にはなかったと思いました。
そんなあやふやなものを他人に話すなんて、危険極まりない・・・というのが、これまでの自分だった。

たまたま、そのときは、死についてだっだけれど、
自分が人生の中で受け取ってきたものの中で、何度も練り直し、体験し直し、挑戦し失敗し、
そして今現在、たどり着いたものがあるとしたら、
それは自分だけの哲学となって自分を支えていることがあるかもしれません。
その哲学を作り出したものは、自分にしか分からない体験からくるもので、
論理的ではなく感覚的なものかもしれません。
いろいろ感じてきた自分が持つただ一つの考え方。
でもそこに、『自分がただそう思っている』ということを伝えるのに、
そんなに構える必要があるのだろうか、ということだと思います。

誤解を招いてもいい、という、
誤解は悪いことではない『誤解』に対しての意味付けも変わってきているのだと思います。
これまでたくさん自分も他人に誤解をしてきたし、
他人からも本当は違うんだけどなあ、と思うこともたくさんあった。
そうした経験を積み重ねてきて、
どう思われてもその人が思うことは自由である(パターンはどれも存在していいのだ)ということが、
このところ、実感として体験できてきたからかもしれません。
そして、うまく話せない、できないということがあっても、
それも成長過程の自分ということでいいのではないか、と思ったりします。

これから先も、何を感じてもいいし、何を考えてもいい。
そこから、選びたいものは何であるのか。
その選んだものが行動となって、形となって、また次の選択に大きく関係し影響していきます。
この『繋がり』は永遠に続くものだと感じました。
だから、
たった一つの選択であってもどっちを選んでいくのか大事にしたい。







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