パターンに届く語りかけ

自分のことを理解してほしいと思うときに、
自分がそう思われたいという願望が入っていることがあります。
その願望とは、どう見られたいのか、というところ。

例えば仕事をしているときは、
できる人と思われたいとか、ミスがない人とか、信用できる人とか、
実際のところはその逆に近いんだけど、そう思われていると困るから、
『そうじゃないと思ってほしい=理解してほしい』になるのかもしれません。

これはパターンが、自分はできる人ではないと思っているので、
できる人でなければこの職場ではやっていけないと、パターンが信じてやまないということ(この時「私」は全く思っていないのだが)。
きっちりミスなくやれる人でなければだめ、
信用してもらえるような人でないとだめ、
あれはだめ、これはだめ、パターンはなかなか自分にOKを出さず、
見られたい自分にならないことを許すことができません。

それなのに、です。
自分は自分のことを許せないし受け入れていないのに、
他人には許してほしい、大きな心で温かく受け入れてほしいなあって思っている。
だから、その願望が叶わなかったときに、
「あー理解されていないわ、わたし・・・」とまた思うのだ。

パターンへ語りかけをしていると、
自分を否定するパターンたちが、自分たちはどんなに傷つき、つらい思いをしてきたのか、
気づいてほしいと思ってきたのかが語ることでやっとわかります。
「今まで一人にしてきてごめんなさい」
「無視をしてきてごめんなさい」
「ずーっと気づかずにいてごめんなさい(または、気づかないふりをしていてごめんなさい)」
という言葉を「私」はパターンへ言ってあげたくなる。

「ごめんなさい」という言葉ってとても温かいです。
たくさんの悲しい思いを受け止めて、そしてこれからはどうしていきたいのか、
パターンにやさしく聞いているような気がします。
この一方的ではない感じ。
伝えた先にパターンと「私」との間に通い合うものがあるとき、
やっと次に進める感じがします。

語りかけた言葉がパターンに届いたとき、
本当に理解してもらったという安心感があります。
それは、そう思われたい、見られたいという緊張感が走るようなものとは全然質が違うので、
本当に何の疑いもなく、ほっとする感じです。
この感じはやはりいいなあ~って思います。
だから何度でも語ってあげたいなあと思います。









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