10年やってきた

今日は岩手クラスの勉強会でした。
お孫さん(生まれたての赤ちゃん)の子守りで寝不足だったというYさんがファシリテータ。
「根拠はないけれど、やっていかれる」という誘導をYさんの美声でやってもらい、
みんなでしばし陶酔しました。
今の「私」が気持ちよく感じるポイントというのが、それぞれに違っているところもいいなあと思いました。
また、いつもこの「やっていかれる」ということが心地良いものであるとは限らず、
その時の正直な感覚を大事にしながら、
今はここよりも、パターンの語りかけを丁寧にやっていこうということもあるはず。
そういう話ができることもまたいいなあと思いました。

岩手クラスがスタートしたのが、
忘れもしません東日本大震災が起きた2011年3月でした。
いろいろな価値観が崩れ始め、お互いの発言に感化されながら(自分の立ち位置を探りながら?)の勉強会は、
今思うとおかしいくらいに共通していたものがありました。
それは、「自分だけができていない・・・」という強烈なネガティブ感情。
自分もそうです。
自分の理解力では、自分の脳みそでは、自分の魂レベルでは無理なんじゃないか・・・
と何度も思ったことが思い出されます(クラスの仲間と比べるパターン)。
そういう自分でOKだったのに、と今だから笑って言えますが、
もし、自分ができていないところを正しく分析するのであれば、
パターンと「私」との分離ができていなかったという、その一点だったように思います。

今も常に分離ができているわけではありません。
だからこそ、魂の成長を目指していきたい気持ちが無くならないのだと思うし、
パターンをすべて許していけることを自分はやっていきたいのだと思いました。

Yさんが、泣く赤ちゃんを抱っこして、
「泣いても、おしっこしても、うんちしても、何してもいいんだよ~」
って言ってあげるそうです。
赤ちゃんはとても安心するのでしょうね、じーっと目を見て泣き止んだりするそうです。
そんなふうに自分(パターン)にも、よしよしって、
どんなあなたであってもいいのよ~って、
言ってあげればいいんだ!と思いました。

今日はみんなの10年前の自分との違いを聞けて、すごく良かった。
成長をお互いに実感できたことで、またこの10年の変化にこだわらずリセットして新しい年を迎えたい。
岩手クラスでこそ自分はやってこれた、としみじみ思った今日でした。
みなさん、そして、先生に感謝です。
繰り返しの教えを、まるで初めて知ったかのようなリアクションする私たちに付き合い、
あきらめずに遠くて寒い岩手に来てくださる先生、ありがとうございます。
みなさーん、来年も勉強会よろしくお願いしまーす。







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