この感覚を信じて

そうなることが相手にとって一番いいことだと思っているのに、
相手がそこを選ぼうとしないとき(そこには抵抗しているとき)、
何だかがっかりしてしまった・・・。
どうしてこんなにがっかりしてしまったんだろう、と考えると、
読みが外れた(自分は間違っていた?)というところの自分と、
そうなってくれなかった相手にがっかりしたんだと思う。

相手にとっていい結果になると信じていたことがあって、
それが、違っていたということを認めたくない自分(パターン)がいました。
こうなってくれたら、相手が幸せになり自分は満足する、安心できる。
これって相手の幸せではなくて、
自分の幸せ、満足、安心の形を押し付けていたということ。
相手が気づいていない自分の能力や魅力、長所を自分ならば知っているという自信がありました(これも相当なうぬぼれ)。
だから、そこが生かされるような方向へ引っ張ってあげたいと思う気持ちがあったんだと思う。

でも、あたり前だけれど、
どっちに進むか選んでいくかは本人が決めることで、
自分がどうしてそこを進める、選べる、これが一番いいと思ってしまったんだろう。
「~してあげたい」って、それって自分の中の誰がやっていることなのか、
本当によく観察していかなければならないですね。

本当は、はじめから相手はそこを望んでいなかったことに、
薄々気づいていたんだと思います(本当の「私」は知っていた)。
でも、パターンがそうしたくなかった。

●自分の望む相手であってほしい
というパターンのケアをして、
〇どんな相手であっても大丈夫
という白を選び、その感覚にひたる・・・。
なるべく長く長く、薄くても長~くそこの感覚を消さないようにして相手と話してみました。
途中、パターンが顔を出してパターンが口を開いているときがあり、
そういうときの相手はちょっと頑なになっているので、すぐに「これじゃない」(話しているのは「私」じゃない)とわかります。
もう一度、
〇どんな反応があっても大丈夫
〇そのままで充分やっていかれる

この、全く目には見えないものを感じ取っていくということ。
すごく不思議な感覚です。
不思議なんだけれど、誰にでもこのセンサーは備わっていて、
本当に簡単に一瞬にして、いい感覚も悪い感覚も自分が作れるものでもあるし、
そこからまた変えていかれるものなんだなあと思いました。

白を選んだ感覚は、本当にこれこそ自分が望んでいるところだというのが分かります。
こうなってほしいという『出来事』を望むのではなくて、
この『心地良い軽さ』で居られるかどうかでした。
ここを感じ取れる自分の感覚を信じ、またやっていこうと思います。










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