らせんの上を歩く

小さい頃、とても嫌なことがあったとき、
今はこんなだけど、次はきっといいことが待っていて、
そして、そのいいことの後には、また嫌なこと悪いことが起きて、
いいことと悪いことって交互に繰り返していくものだと思っていた。
嫌なことから逃げずにちゃんと頑張って乗り越えれば、必ずご褒美をもらえるけれど、
そのご褒美をもらっていつまでもいい気になっていると、また次の試練を与えられる。
そういう法則があるような気がしていました。

これはあながち間違っていないようにも思いますが、
今思うことは、
ちゃんと頑張っているのはパターンではなく「私」で、
「私」で頑張ったからご褒美を受け取る「私」がいる。
そして、いい気になっているのは「私」ではなくパターンで、
次の出来事を試練(嫌なこと)と感じてしまうのもパターンだということ。
いいことと悪いことは規則的に繰り返すという法則があるのではなくて、
自分にとっていい悪いを決めているパターンがあるということです。

本当の「私」がしっかりと存在していくことで、このいいこと悪いことの区別がつかなくなっていくという感じがします。
「私」が成長して大きくなっていくために、パターンを包み込めるようになるために必要なことが起きていく、
それがいいこと悪いことと表現していること。

成長というものは、右肩上がりの一直線の矢印ではなく、
らせん状に上昇していく形であらわすことができます。
このらせんというところがとても面白いところで、
ぐるっと回ってもとに戻っているということはありません(ループのように出発点と終着点が同じではない)。
以前と同じような出来事が起こり、成長していないんじゃないか自分?と感じてしまうことってありますが、
それは、戻っているのではなく、
また少しだけ進んだ自分にふさわしく、乗り越えたと思うような出来事で確認しながら進んでいるのです。

人間の身体も、植物もこのらせん状のエネルギーで成長し、
お腹の中の赤ちゃんでさえも、生まれるときにらせんを描くようにしてお母さんのお腹の中から出てくると言われたりもします。
生命の基本的な要素であり、生き続けていれば戻ったり停滞したりということは厳密にはないということかもしれません。

自分が今このらせんの上のどのあたりを歩いているのか・・・
焦らないで、急がないで歩いていきたいです。








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