『つらい』ということ

普段、他人と比較することをちょいちょいやっていたりするのに、
なぜか『つらい』と感じた真っ只中に、他人とそのつらさを比べることはあまりしません。
どんなに壮絶な人生を見聞きしたとしても、
今自分が苦しいと思っていることが、他人との比較で消えてなくなるということはないです。
さっきまで他人の人生をすごいなあ、自分なんてまだまだと思っていたのに、
もう自分の大変さで頭も心もいっぱいになっている。

でも、その時は確かに自分は(パターンなのだが)、本当につらいのだ。
そして、つらいと思うときは、
見るもの感じるものすべて、これから先もずーっと続くと思ってしまうし、
今すぐどうにかしたいし、またどうにもならないのかもしれないと思い、その気持ちがさらに苦しくさせる。

過去となった事柄を振りかえれば、大変だったけれど、あれがあったから今があるということは分かります。
つらいことばかりは続かないことも知っているし、
人生には無駄なことなんてなくて、そのことがあって少しだけ変われた、成長したのではないかと思えたりする。
でも、変われた、成長したからこそ、
またつらいことは形を変えてやってくる・・・

こうなってくると、『つらい』って一体何なんだろうって思うのです。
それはただの感情の一つであるけれど、
自分がそう思いたい(感じたい)と思っているものなのかもしれない。
感情はどこか勝手に湧いてくるものだと思っていますが、
実は自分がこの感情を選んでいるのではないかと思うことがあります。
そう感じたくないと思えば思うほどに、
いつでも簡単にその感情につかまってしまう。
そして、この『つらい』と感じるところから、自分に対してのケアが始まっていくため、
欠かせない感情となっているようにも思います。

だから、この感情がいやなんだけれど、いやじゃないという複雑な気持ちがあります。

















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