家族のためなら

家族のためなら頑張れる、家族だから守りたい、家族のことが大好き・・・
と思うことは真っ当な感情だと思う一方で、
悲しい思いをさせたくない、苦しむ姿は絶対に見たくない、
家族が笑顔になるためなら自分は何でもしたいって、
どうしてこれほどまでに、自分よりも家族に幸せになってほしいと願うのか。
自分が苦しみを引き受けることによって、家族の苦しみを和らげることができるのならば、
わたしは喜んでそうしたいと子どもの時から本気で思っていた。

だけど・・・
それでもし本当に神様が、あらゆる苦しみから家族を救ってくれたとしたら、
自分はそれが生きるうえで最も尊いこと、幸せなことなのだと本当に思えるだろうか。
本当の「私」ならわかっている。
そういう生き方を今回選んでこの世に誕生して来た人もいるかもしれませんが、
少なくとも自分はそのためだけに生まれてきていないって、そういう気がしています。
自分が自分の課題をクリアするために最もふさわしい家族を選び、
その家族とどう関わって、何をすることができて、
どこまでが自分の役割で、どこからは自分の範ちゅうではないのかを知るために、
「家族のためならば・・・」という感情から教われることはたくさんあるのではないかと思う。

●家族のため、というパターンは、
〇家族のためではない、もしくは家族のためにならない、という白もあります。
●自分の家族にだけは、というパターンは、
〇自分の家族でなくても、もしくは自分の家族以外の人に、という白もある。

わたしが両親にしてもらったこと、兄にしてもらったこと、夫に子どもにしてもらったこと、
全てを返すことはできないかもしれないし、
『返す』というのはしてくれた人以外へ、この地球上の誰かでいいのだと教えてもらいました。
むしろそれがちょうど良いのだと・・・。
だから、近所のおじさんとか家の前を通る子どもたちとか、
職場の同僚とか利用者さんたちとか、
よく行くお店の人とかちょっと知り合っただけの人とか、
愛を注ぐ相手は、無限にいるということになります。

家族には幸せになってもらうこと以外の選択肢はないって、そう思うこと自体がとても苦しい。
自分が悲しみたくないから、つらくなりたくないから、大切な人のそういう姿を凝視できないだけです。
自分の弱さを愛情とすり替えていたような気がします。

そうは言っても~
家族はやはり大好きですし、自分にとって大切な存在です。
大切だから、お互いの成長をせめて奪うことのないような関係でいたい。
そして、家族以外の全人類に家族と同様の思いやりを持てたらいいなと思います。

今回の『魂の道場』で一番心に響いたことでした。



















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