分からないことを聞く

先日の岩手クラスの『魂の道場』で、
自分自身のあり方がいくつか変わってきたなあと思うことがありました。

一つは、
話しをする前に事前にノートへまとめるようにしていたのですが、
自分の経験したことなのだから、今の自分がその経験にひたりながら話してみようと思うようになりました。
また、セッションの合間もあまりノートを取らなくなり、
ずきーんと胸に響いたことだけをさっと記す程度で、
終始その場で感じることを大切にしながら皆さんの話を聞き、ワークを受けているような気がします。
そしてこれは自分にとってとても大きな変化だと感じているのですが、
以前よりも、分からないことをそのままにしなくなったように思います。
ということは、今まではよく理解できていなくてもそのままにしておくことがありました(バレていると思うが)。

働いていても、学校でも、家でも、どこでも、
あちこちで「分からないことは聞きなさい」という言葉は耳にしますが、
実際にこれが難なくできる人は少ないように思います。
分からないばっかりに恥をかいたりバカにされたり、という経験は誰にでもあると思うのですが、
それらが、分からないことを知られたくないというパターンも作り出しています(そして、知られたら恥をかくという堂々巡り)。
分からないことに重きを置かなくなり(ふれない方がいいと思い)、曖昧なまま知らない方が楽だと感じることもあると思う。
知ろうとすることは、今以上に何かしなければならないことがあったり(聞くというハードルがまずある)、
聞いたことを理解しなければならないこととか、考えなければならないこととか、やることが増えるということもあるかもしれません。
つまりは、分からないと思った時点で、これ以上に面倒になるのがいや・・・という感覚に近い。

道場での学びは、この面倒なものへの挑戦だと言えます。
または、面倒だと思っていること全ては自分の持っているパターンだと気づくことでもある。

先生はいつもわたしのレベルまで降りてきて、質問に答えてくれてます。
たぶん前に聞いたことがあるような、と思われることにも根気よくつきあってもらい、
分からないことを聞くってこんなに楽しいものなのかと今では思うほどです(たとえよく分からない答えだったとしても)。
自分が大事にしたいと思うことに対して知りたいという感覚は、とても純粋なものなんだなあと感じます。

この年齢から(これもパターンだが)、自分が聞くことをさほど恥ずかしいと思わずにできるようになってきたことがうれしいです。











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