ありがたい友達

今日は、壁塗りはお休みして、友達とご飯を食べに行きました。
友達ってとてもありがたい。
自分の話を、うんうんと聞いてくれて、意見を言ってくれて、でも結論みたいなものは全くなくて、
ただお互いの近況で感じたことを話し、聞く、笑う、という時間を持てる。
感じていることはそれぞれ違っていたりもしますが、それでいいと思える。

いつも別れた後に、今日のあの事ってどういう意味だったのかなとか、
いろいろその時は思わなかったことを振りかえって考えたり、感じたりします。
そして、相手がどうだったのかよりも、その話を聞いて自分はどう感じたのかがとても気になることがあります。
なぜ、自分はもやっとしたんだろう
なぜ、違うことを思ったんだろう
なぜ、理解できなかったんだろう等々、自分のパターンを探しています。

友達が自分に聞いてほしくて話しているのですから、
よく分からなかったことをその場でちゃんと聞き返したりして、確認しないというのは、
相手に失礼なことだなあって最近すごく思うようになりました。
だって、わからないままにしていていい、ということですから、話を聞いていない、ないがしろにしていることとほぼ同じですよね。
そんな失礼なこと、奇しくも昔はやっていました。
相手の話を折ってはいけないとか、相手を理解しているいい友達でいたいとか、パターンで聞いていた。

わたしは、友達って少ない方だと思う。
だから、その貴重な友達との時間で、ちゃんと「私」で話したいし、「私」で聞きたい。
一緒にいて楽な人っていいな、と思っていたことがあったけれど、
相手が楽にしてくれるのではなく、自分がそのままで(楽で)いればいいだけ。
自分が今ある関係性を作っているのだと、よくわかります。

友達という関係って、あってないような・・・ちょっとわからないところがあります。
人類皆兄弟(皆友達)、と言えばそうだし。
でも、ご飯食べに行かない?って言ってもらえることはとても幸せです。
友よ、いつもありがとう。








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