怖さを愛で包む

約半年ぶりの『魂の道場』は、
学びたい仲間が集まり、ここで共に「学べた」ということ自体が、
とても重みがあり、幸せをかみしめながら時間を過ごしました。
これからの時代は、「いつでも」はもう不確かなものとなり、「いつか」と思ったことが永遠に来ない、
なんてことがあってもおかしくない。
今やれるときにやる、このタイミングというものが大事になってくるのだろうなと思いました。

この学びを続けていて、悩みが無くなってきた、ということはないです。
むしろ、悩みの本質が見えてきたり、いよいよもって本題に入ってくる。

人が「悩む」とき、大方そこへ人が登場してきます。
人が登場してこない悩みってあるのかなあ・・・
そう思うほど、
人は、人に対して頭を使い、気を遣い、精神を疲労させたりする(自分もある)。
そして、人で悩むが人(相手)次第で解決できると思い込んでいる人も少なくない。
相手は変わらない、変えれないと頭ではわかっていても、自分を本気で変えたい(自分の問題)と思う人はどれだけいるだろうか。
でも、これも、
本気で変えたいことが良いことで、変えたいと思わないことが悪いことではない。
ただ、そう今は思っている自分(パターン)があるという、たったそれだけのことであり、
また、それだけのことを受け入れられる、認められる、許せる自分でありたいと思った。

例えば、コロナに対して怖いと思うことにも人が介在する。
よくよく掘り下げていくと、
感染することで人から責められること、攻撃されること、職場から社会から孤立してしまうこと、
こうした人との関わりが断ち切られることへの怖さ、を感じている人はいたと思う。
誰だって(自分も含め)、責められたくないし、孤立したくないし、人が離れていくことは怖い。
死ぬことが怖いと思うことだって、この世から自分が消えてしまうことへの怖さがあると思うし、
大事な人との別れは、それに耐えられない自分がいると思うから(これもパターンだが)。

だからやっぱり、
愛を持って、「どうしてあなたはそう思うの?」と自分に目をかける。感心を向ける。
何に怖がっているのか、少しずつ、でもしっかりと、その怖さ、悲しさ、寂しさを見つけ守ってあげたいと思った。

そして、今回とても胸に響いたことの一つ。
今まで使ってこなかった(使いずらかった)資質こそ使いこなしてみたいと思ったこと。
愛を持って・・・
そうしたいのならば、もっと「私」の生まれ持つたくさんの資質を見直していこう。
それはどんなものがあるのか、これから探っていきたいです。








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