耳を澄まそう

大多数の人がしっくりきていることでも、
自分はどうしてもしっくりこないことってあります。

人生をよりよいものにするための、れっきとした研究結果があり、
幸せになるための方法や姿勢や考え方、行動にすべてちゃんとした根拠もある。
権威のある方がデータや数字をまじえて言う話。
はきはきとエネルギッシュに、ときに優しく、ユーモアがあり、その人自身も素敵な人。
そして、それらのメゾットを実践した人たちの多くが、人生が好転し(又は、じわじわとよい変化があった)
幸せになっているという事例を見聞きした・・・。

根拠がはっきりしているもの、論理的なものがダメ、いや、ということではありません。
説明している人の印象がよくて、話がうまくって、
それがよくない、ということではないです(その通りやって、うまくいっている人もいるわけだし)。

ただ、話の内容ではないもの、その人の話し方や見た目ではないもの、
目を閉じて耳を澄まして聴いたときに、自分はそれ以外に何を感じるかということ。
そのときに感じた自分の感覚、センサーを大事にしたいって思う。
その感覚やセンサーがどういうものなのか、
たとえうまく言葉で表現できないとしても、相手が納得するような根拠を示せないとしても、です。

自分にとって「なんかこれがいい」「なんかこれじゃない」ってわかる感覚が誰にでもあります。
それは、自分を守ってくれている導いてくれている見えないものの力(神、天、宇宙、ご先祖様・・・他いろいろ)
の存在をどこかに感じているからだし、
いいところもわるいところもある半人前の自分自身を「私」は信じているから、わかるのだと思う。

もしかしたら、そういう自分を誰も理解しないかもしれないし、
それがいいと自分が思わないことで、大事に思ってきた人も離れてしまうこともあるかもしれない。
それでも、
自分が自分を見捨てることはしないと思う。

自分を支えるものって、やっぱり、自分の外側にはないのだと、
「しっくりこないこと」にはとことん向き合ってみようと思いました。
だから、そのしっくりこないことを見て聞いて、調べて、どこが違和感なのかちゃんと知りたいと思った。
そして自分の「しっくりくること」は何であるのかも知りたい。

そんなことを感じながら、繊細で小さな声のパターンが言いたいことを、耳を澄まして聴いています。





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