命をもらって元気になる

何年か前に、食肉処理工場の現場を見学させていただいたとき、
足を踏み入れたその瞬間から、もうその場にいることが精一杯で、
説明をされながらもそれを見ることができず、とにかく一刻も早くこの場を離れたいと思ったこと、思い出します。
その後、スーパーのお肉売り場を通れなくなり、数か月間鶏肉は食べることができませんでした。
これまで、普通に美味しく食べてきたお肉が、別ものに感じてしまい、
どうしてこのような職場で働くことができるのか、不思議でたまらなく理解できなかった(働いている方々、本当にすみません)。

ところが・・・です。
熱心な責任者の方とお会いする回数を重ねていくうちに、これはただ単に残酷な辛い仕事で語られるものではなく、
尊い命に敬意を払いながら、誰かがやらなければならない、そんな現実を知る仕事であると、見方が変わっていきました。
自分には決してできない仕事。
でも、それをしている方たちがいるから、私たちは食べることができる。

ラインに流れてくる肉の一部や臓物を丁寧に取り分ける。
それらに病気がないか、工場には獣医さんも一緒に働いています。
残念なことに病気が見つかれば、処分しなければならず、それは生き物にとても申し訳ない気持ちになるそう。
大事に育ててきた生き物の命すべてを、少しも無駄にすることなく食べてもらうことが自分たちの使命。
この話を聞いたときに、私なんかよりもずっと生き物の命を大事に思っていることを感じました。

今はこの仕事に就くことに、その方が精神的な苦痛を感じないのであれば、堂々と紹介しています。
作業性の向き不向きはあるでしょうが、命をまのあたりにする経験として貴重な職場であると思いました。

とは言っても・・・あれ以来、見学は遠慮させていただいておりますが、
工場を後にするときは「いつもありがとうございます」と、働いている方々とお肉になった生き物たちに感謝して帰るのでした。






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