他人の成長から、自分を考える

今までは、注意されたこと指摘されたことには極力ふれず、さらーっと流してきた人が、
何度もそこがあなたの弱点だと、流さないようにと言われ続けて、そうなのかなあと向き合い始める。
向き合うことがどういうことなのか、よくわからなかったとしても、
他人の言葉に耳を傾け、自分の弱点を自覚し、あれ?っと思いはじめると、それはその人の強味へと変身していく。
言われたことを、ちゃんと立ち止まって受け入れる力がついていく・・・
これができるようになるって、すごいです。

またさらに、注意されたときに、ありがとうと言えたり、
指摘されたときに、もっとそれがどういうことなのか知りたいと聞いてみたり、
思うだけではなく、行動できた自分に確かな自信も生まれる。

今より少しでも成長したい、そう思っているからそれができるのか。
自然と他人の言葉が素直に入ってくるようになったからなのか。
どちらもあるのでしょうが、
こういう場合、『自分はそんなに正しくはない』という謙虚さ、寛容な姿勢がその人にあるからだと感じます。

そう言えば、最近他人から注意されたこと指摘されたことってあったかなと考えてみるのですが、たぶん何かあったような気はするのですが、具体的に思い出せない。
もし、されているのに忘れているとしたら、自分が正しいという前提でこのところいたのではないかと思う。
そうだと、他人の言葉って入ってこないですね(聞こえていなーい)。

●自分の方が正しい、というパターンが暴れていないから居ないというわけでもない。
パターンのゆるぎない思い込みで、自分が正しいのだから迷うことはない、という落ち着きを払っている状態だということもあります。
この落ち着き(勘違い)が、他人の言葉に耳を傾けるときの『壁』となっているのかもしれない。
自分は正しい、間違っていない、分かっている、だから他人が何を言っていても、はいはいはい・・・という感じに(はいは、一回で)。
成長をしたその人と、今の自分との違いは何だろうと考えたくなりました。

他人の成長をきっかけに、自分のパターンについて考えてみる、というのはこれまであまりなかったことでした。
明日は、自分に向けられる周りの声に耳を傾けて一日を過ごしてみよう。























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