結果を見て、動機に気づく

一生懸命やったけれど、結果は残念なものだった・・・ということがあります。
その時、一生懸命頑張ったから後悔はない、という場合と
頑張ったからこそひどく落ち込む、という場合に分かれます。
今の私は後者。

『現実を知る』って、分かっているようで分かっていない。
こういう自分だと思いたい、というのがどこか頭の中にあったのだと思う。
現実の自分をありのまま見ていなくて、理想(できる姿)がちょっと混じっている。
『できるようになりたい』と頑張っていたのが、いつの間にか『できるはず』に変わっていた。
自分にはできるはずだ(だって、こんなに頑張ってるんだから)があるからこその、意気消沈。
これって、一見いいことのように思えるのだが・・・
なぜ、もやもやが止まらないのだろう。

一体、私が一生懸命頑張った理由って何だったんだろう。
一生懸命やった結果ならば、伝わる(褒めてもらえるはずだ)と思ったのか?
すごいね、って言われたいだけに頑張ったのか・・・?

どちらも、自分の頑張る理由の中にありました。
そして、このような動機では、本当の「私」は頑張らないはず・・・
パターンで頑張っていたのだと思う。

頑張るって、ちょっと危うい感じがあります。
頑張る=無心、でやっていたような気になっていました、その時は。
でも、全然、無心どころか野心のかたまりで頑張っていた。
そういう意地が必要なときもあるのでしょうが、何かしらのたくらみがあってはやはり、それなりのものを受け取るのだと思いました。

自分のしたこと、これが現実です。
この結果に逆らわず、ゆがんで見ないように、
これから、現実がもたらしたものを、自分は受け止めていかなければと思いました。












コメント