自分をさらす練習と、伝え方の練習

今ケアをしている●反応がほしい、というパターン
先日、共に学ぶ仲間だからこそ、何でも言ってほしいのに・・・と、
言ってもらえることが普通なことで、言われないということは無関心(嫌われているのかもしれない)と思っているパターンがいました。
このパターンは、寂しさと同時に孤立感も感じています。

ゆっくりと丁寧に語りかけをしていくと、大人の自分がどんどん小さな女の子(8歳くらい)になっていきました。
寂しそうに一人ぽつんと立っている私。
この子(インナーチャイルド)に会いにいき、今そばにいてあげています。

再び、『パワーか、フォースか(改訂版)ー人間の行動様式の隠された決定要因ー』について。
人間の日常的な心構えとそのパワーは、時にスピリチュアルな葛藤を生じさせるといいます。
スピリチュアルな教えのすべてが、悪意や憤り、妬みや嫉妬といった低い領域の感情に向き合い、そこから離れるよう忠告しています。
そして、人間は離れたい(変わりたい)と思いながらも、誘惑に負けやすく、
それは、人間は性やお金など嗜癖の領域に、はまりやすいという特徴に象徴されていることでも分かります。
そのはまりやすさ故に、
例えばアルコール中毒の方ならば、断酒会などの自助グループというものが生まれ、
そのグループで共に学び、絶え間なく自分の意志で変わるという決意を選択していく。
こういったグループの共通の特長、成果を見ると、人間は何かしらのスピリチュアル性と関わらなければ回復は見込めないということが分かるのだそうです。

ーーーーーー
一般的に、意識をあげるプログラムに関して言えることは、本当のことを言わない限り人間は無力であるということです。すべてのスピリチュアル志向の自助グループは、これを第一段階として求めています。進歩するためには、偏見のない心と向上する意欲が必要であることにおいて、彼らは一致しているのです。
ーーーーーー(本文より)

私は自助グループに参加しているわけではありませんが、
この言葉には、あなたはそこで、本当のことを言っていますか?
さらけ出していますか?
と言われているような気がしました(これは、スピリチュアルな葛藤のほんの一部分である)。

言う、話すといっても、相手に自分のことを伝えるときは、相手への敬意をもって話すということが大事。
敬意を示すということって、どういうことなのか。
一般的には、敬意の反対語は侮辱(馬鹿にして、相手をはずかしめること)ですが、著者の人間の行動様式の視点(心構えとそれに相反するもの)でいえば、
『敬意を示す』の反対の意識は、『卑しい(いやしい)』になります。
卑しい(意地の悪い、下品なこと)・・・
これはなんとも、言葉に置き換えると強烈。実践したくはないものです。

『自分をさらけだす練習』と『お互いにやわらかい心でいられる伝え方の練習』をしたい。
幸運なことに、その練習の場があるので、今年はここをやっていきたいです。
そしてその過程でパターンのケアが必要なときが必ずあると思うので、そこも・・・。














コメント