意識が現実をつくり出す
いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
昨日は、『魂の道場』岩手クラスでしたが、仲間から感想を言われ、
読んでくれている人がいるんだ、とあらためて実感しました。
そして、学び合う仲間からの言葉を欲しがっている自分がいたことに
(これは、何かアドバイスして欲しい、反応してほしい、褒めてほしいとかのパターンだが)
気づくことができました。
いつも皆さん、ありがとうございます。
根拠のない自信「なんだか分からないけれど、やっていけるような気がする」というものの大切さを学びました。
昨日、カウンセラーになろうと思ったときのこと、日記を書こうと思ったときのこと、どういう気持ちで始めたの?と聞かれ、
正直何も考えていませんでした・・・と言ったような気がしますが、
後から、これだと思いました。
好きなことだからやりたいし、なんかよく分からないけどやれるような気がする・・・
そんな、軽い感じと、軽いけれど確かな感じもあったと思いました。
仕事では、「その根拠は?」と聞かれる場面があります。
根拠とするものをはっきりと言えないと、説得力がない(意見が通らない)ということなのでしょうが、
これをとっさに言われると大体どもってしまうか、口に出るのは薄っぺらい理由(苦しまぎれ感がある)。
いつでも、根拠さえ示せるようにしておけばいい、と言われたりもします。
先日、そういう問われる場面があり、
もうこれしかないと思い、「うまく言えないのですがー、勘です」と答えたことがありました。
だってそうだから、としか言いようがない・・・と心の中でつぶやく。
その時の自分は生意気で、偉そうで、もしかしたら不誠実に見えたかもしれないのですが、
相手の方は、黙って自分の言うこと(提案)を聞いてくれました。
相手の真意は分かりませんが、根拠がなくても通じた、とても貴重な体験だったと思います(次はそうそうないと思うのだが)。
何かをしようとする時の、心の軽さ、重さは、見えないものからの応援をもらえるかどうかの指針になります。
仕事上では、相手を納得させるちゃんとした根拠が必要とされますが、
自分自身を納得させるものは、心にひっかかりがないか、抵抗感があるかないかということで充分なのだと思う。
理由を言わずとも、もうすでに自分はそれがやれる、それでいいと知っている。
そういう意識(無意識も含め)があって初めて、その意識から現実を作りあげていくのだそうです。
ということは、目の前にある現実は、自分の意識が作り出したもの(一瞬にだったり、長い年月をかけたものだったり)ということになりますね。
また、その次の段階はどうなのだろう。
なんだか分からないけれど、やれそうな気がする、だけでは変わらないということも、私たちは深いところで知っています。
『やっていけるような気がする』から『やる』へ。
始めの頃の軽くて、あ~良い感じだなあとふわっとしたものから、
だんだんと、自分の足で大地を踏みしめて一歩一歩進んでいくような(足の裏にいろんな痛みも持ちながら)行動で変化していく感じです。
その段階に自分もきているのかもしれない、と感じるこの頃です。
昨日は、『魂の道場』岩手クラスでしたが、仲間から感想を言われ、
読んでくれている人がいるんだ、とあらためて実感しました。
そして、学び合う仲間からの言葉を欲しがっている自分がいたことに
(これは、何かアドバイスして欲しい、反応してほしい、褒めてほしいとかのパターンだが)
気づくことができました。
いつも皆さん、ありがとうございます。
根拠のない自信「なんだか分からないけれど、やっていけるような気がする」というものの大切さを学びました。
昨日、カウンセラーになろうと思ったときのこと、日記を書こうと思ったときのこと、どういう気持ちで始めたの?と聞かれ、
正直何も考えていませんでした・・・と言ったような気がしますが、
後から、これだと思いました。
好きなことだからやりたいし、なんかよく分からないけどやれるような気がする・・・
そんな、軽い感じと、軽いけれど確かな感じもあったと思いました。
仕事では、「その根拠は?」と聞かれる場面があります。
根拠とするものをはっきりと言えないと、説得力がない(意見が通らない)ということなのでしょうが、
これをとっさに言われると大体どもってしまうか、口に出るのは薄っぺらい理由(苦しまぎれ感がある)。
いつでも、根拠さえ示せるようにしておけばいい、と言われたりもします。
先日、そういう問われる場面があり、
もうこれしかないと思い、「うまく言えないのですがー、勘です」と答えたことがありました。
だってそうだから、としか言いようがない・・・と心の中でつぶやく。
その時の自分は生意気で、偉そうで、もしかしたら不誠実に見えたかもしれないのですが、
相手の方は、黙って自分の言うこと(提案)を聞いてくれました。
相手の真意は分かりませんが、根拠がなくても通じた、とても貴重な体験だったと思います(次はそうそうないと思うのだが)。
何かをしようとする時の、心の軽さ、重さは、見えないものからの応援をもらえるかどうかの指針になります。
仕事上では、相手を納得させるちゃんとした根拠が必要とされますが、
自分自身を納得させるものは、心にひっかかりがないか、抵抗感があるかないかということで充分なのだと思う。
理由を言わずとも、もうすでに自分はそれがやれる、それでいいと知っている。
そういう意識(無意識も含め)があって初めて、その意識から現実を作りあげていくのだそうです。
ということは、目の前にある現実は、自分の意識が作り出したもの(一瞬にだったり、長い年月をかけたものだったり)ということになりますね。
また、その次の段階はどうなのだろう。
なんだか分からないけれど、やれそうな気がする、だけでは変わらないということも、私たちは深いところで知っています。
『やっていけるような気がする』から『やる』へ。
始めの頃の軽くて、あ~良い感じだなあとふわっとしたものから、
だんだんと、自分の足で大地を踏みしめて一歩一歩進んでいくような(足の裏にいろんな痛みも持ちながら)行動で変化していく感じです。
その段階に自分もきているのかもしれない、と感じるこの頃です。
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