習慣を捨てる
自分への扱いに不満を持ったり、
もっとちゃんと公平に見てほしいって思うとき、
自分にもその相手に対して偏見があり、ジャッジしていることがあります。
また、そういう自分だからこそ、相手のそれを見て、
相手がしていることがわかって想像できるのです(本当にはわかっていないと思うけど)。
でも、
今の自分が受け取っているそれと、
相手が受け取っているそれとは、
はじめから違うものなんだなあとも思いました。
立場によって受け取り方や感じ方は違ってきます。
経営者と従業員、教える側と教わる側、経験者と未経験者というように、
自分がどの立ち位置で物事を見ているのかで、
全く正反対のものを見ていることもある。
結局は、外側で起きていることや、相手がどう思ってそうしているのか?よりも、
その外側で起きていることを、自分はどう捉えていくのかだけです。
自分以外のところで一生懸命他人を分析をしても、
真相も何もわからない。
わかってもらいたいから、あの態度に腹が立った。
大事にされたいから、あの発言に悲しくなった。
認められたいと思ったから、あの行動に出た。
自分を必要としてもらいたいから、あんなふうに言ってみた。
・・・というように、
感情にも、態度にも、行動にも、
そうなる理由がぜーんぶ自分の中にあります。
自分には、明確な理由があるんですね。
自分のことよりも、相手のことを(立場を)考えて行動しましょう~的な、
相手を思いやる精神が子どもの頃から刷り込まれていることもあって、
社会に出てからもなお、
自分よりも、まず相手はどう思ったのか?
そっちを大事にしてしまう癖がついているのかもしれません。
いまだに、それが抜けきれない・・・
それくらい、自分を全ての中心に置くというところへ意識を向けていくのは、
過去の習慣を手放すことでもあり、
とても大切なことなんだと思います(時間がかかるが故に)。
手放す、辞める、降りる、壊す、捨てる。
今の自分には、これらの言葉がとても心地のよい風通しのよい、いい感じ、い~い感覚です。
このいい感覚に浸って浸って(←ここ大事)習慣を変えていこう。
江ノ島大明神 |
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