音が外れるときのルール

千鳥の〖鬼レンチャン〗という番組があります。
音程を外さずに歌って、10曲まで行けると100万円もらえるというもの。
参戦する芸能人はみんな歌がうまい人ばかりなのですが、
自己流ではなく、のりのりすぎてもダメで、
あくまで曲に忠実に音程を守って歌わなければなりません。

この番組、好きで結構見ているんですがー
おもしろいことに、音程を外すときの直前の状態に共通するものがあるんです。

はじめはただただ一生懸命に集中して歌っています。
歌っている姿はとても集中しているし、緊張がありながらも楽しそう。
でもだんだん賞金が目の前にちらつくと、
ついに、ここまで来た・・・という期待というか、勘違いが起きるのでしょうか。
絶対に賞金をもらってこうなりたいとか、
鬼レンチャンにこれだけのものをかけてきたとか、
こうしてテレビに出られるようになるまでどんだけ苦労してきたかとか、
それはそれは自分の思いを熱く語ります(しかも、長い)。

で・・・、
真顔で長々と語った後に、ほとんどの方が決まって音程を外します。

本当にこのケースが多くって、
当人が歌う前に語り始めると、
あ、これはやばいな~
って失敗の匂いがぷんぷんしてくるんですね(そして、見事に当たる)。

この現象は、一つの法則にのっとっているのではないかと思ってしまいます。
それこそ量子力学です。
意識がこれまでと違うところに動いた途端に、量子もゾゾゾゾッと動き、
今までと違う現実を作り出す。

それが、お金に対する欲なのか、
売れたいという欲なのか、実力を認めてほしいという欲なのか・・・
とにかく何かしらのパターンが考える欲であることは間違いないような気がしてます。
あの真顔と熱意には、
今までそこにあった真っ直ぐさ、純粋さは消え、
(真面目に語るので、一見いい話には聞こえますが)
パターンが言うところの願望でしかない。

何かを叶えることに執着しはじめると、
そうなりたい、なりたい、なりたい・・・と思い、
今自分はそうなっていない、いない、いない、と信じていることになります。
だから、
宇宙のルール、神のルール、この世のルールとしては、
その思っていること、信じていることの方をそのまま現実に映し出そうとするのですね。

いつか幸せになりたい・・・と強く願うということは、
今自分は幸せではないと思っていることと同じなので、
そのまま不幸せなことが起こってくる、という仕組み。

他人に向けて熱く語りだすとき、自分の中の誰が語っているのか?
これは話している最中自分でも気づきにくいんだと思う。
いい話をしているなあと感じた時は、ちょっとそのあたりをもう一度見ていきたい。

自分は、鬼レンチャンは音感がないので無理だけど・・・
一人カラオケに行きたくなります♪



富士山ってどこから見えても感動!


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