話を聴く

長年やっている福祉の仕事の一つに、就労定着支援というものがあります。
精神疾患など抱えている方が、その会社で安心して働けるようにいろいろとサポートしていくというもの。

この仕事で最近あらためて思うのが、
『話を聴く』ということの精神的効果(効用?)です。
聴いてもらう側の、相手の方にとって、
なにかしらの変化がもたらされているように思います。

話を聴いてもらうと心が軽くなる。
っていうのはあると思いますが・・・
普段お薬をたくさん飲んでいる方とか、
発達障害の傾向が強い(それで二次障害として精神疾患が発症する)という方もいますので、
そういう不安定な状態の方であってもなお、
聴くことで変わっていくというのは、これ、すごいことなんじゃないかと思うのです。
特別な治療でも何でもない「聴く」だけ・・・

話を聴いてもらっているうちに頭が整理されていくということはあると思うので、
職場で自分がおかれている状況や、自分の役割を客観視できるというのはたしかにあります。
でも、自分自身がどういう人間であるか、
ゆがみなく理解していくというのは、なかなか一人ではできないこともあると思うのです。
特に、自分がそのときどんな気持ちになっているのかと感じていくのは、
まずもってほとんどの方が意識しません。

自分がどんな気持ちになっているか、
それはどうしてそうなるのか?と誰かに聴かれてはじめて、
だんだんと他人ではなく自分に目を向け、自分だけを見ようとし始める。
そんな自己観察する作業を自然にやっていくようになることがすごいと思っています。

その間、私がしていることと言えば、
本当に話をひたすら聴いて、たまに質問をし、感じたことを伝える。
それはその人に何が起きているのかを知りたいという気持ちがあっての『聴く』であり、
その方自身も聴いている私以上に、自分のことを知っていくのが面白く感じていく。
この連作が支援の過程で起こっているんだと思いました。

本来、自分を知ることは楽しいこと!
だれでも本当は自分自身に一番興味があるのだと思います。
意外な一面を知ったり、思ったよりもいいところを発見したりすると嬉しいし・・・
それなのに、
嫌な面、かっこ悪い面は見たくないという心理が働き、
そこを見たくないがために全てを見れなくなってしまっているのかもしれません。

私は私で、対面になると何かスイッチが入るように、
ガラス一枚隔ててその方を知りたいモードに入るような気がします。
その人の心の中(パターン)を見たり、
発する言葉の背景や、どんな気持ちでいたのかを想像することがとても好きなんだと自分でも思います。
そして、自分自身の心も(パターン)も見つかるため、
それを感じながら、違うところでその方を見ていくというのも興味深いことなんだと思います。

結果的に相手の方との関係が長く続いていく間には、
何より私自身が相手の方から学んでいることは確かですし、
お互いが良く変化し続けているのでしょうね。
話す、聴く、という対話が全ての始まりであることを感じました。




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