ねことわたし

気持ちはのんびり行こう・・・と決めてから、
実際にはあれこれやってはいますが、
のんびりしている時の感覚(一つ一つ楽でいる感じ)をつかめてきました。
こんなふうに意識が変わると、体の感じ方まで変わっていけるんだと、
忙しさの中から教わった気がします。

疲れやすい自分はダメだとか、
体力がない自分もダメと思うパターンにゆっくり語りかけ、自分で心をケアしていく。
少しの時間で休む、寝る、といったことをする。
そうやって、『語りかけ』と『動き』を合わせていくと、
本当に疲れ方が全然違います!

疲れたというのは肉体のことであっても、
疲れている自分はダメだという決めつけもやはりあるため、
そこに、あなたはそう思っているんだね~って言えるのは、
自分自身へ対しての愛なんだなあと思いました。

この愛を感じる気持ちって、自分へ思いもよらぬ変化をもたらします。
なんと、ここ何十年と変わらなかった犬派の私が、
この数日で、
あれ?猫ってこんなに可愛いかったっけ・・・と思うようになったのです。

知人のにゃんこを見ていると、惹かれるものがたくさんあります。
色も、太い腕(手)も、スタンンプのような肉球も。
じーっと見つめる目、そして犬とも共通ですが後頭部のラインが本当に素敵。
後頭部って、人もそうですがそこに哀愁というか、人に見せずにきたものを感じます。
そして、だんだん猫と自分って似ていたんだなと思うようになりました。

意味不明な行動や、誰に何と思われても平気な態度、
本当は一人でいたいけど少しはかまってほしい気持ち。
そして、たった今これをやっていたのに秒で違うことをやりはじめる気ままさが、
猫そっくりだったと思いました。

そうなると猫もわかるのでしょうか。
昨日はついに、はじめて入ったお店の猫が、
店主もびっくりするかの行動でこちらへ寄ってくるのです。
その後も少し離れたところからじーっとこちらを観察。
そこには、猫と私との見えない交流がありました。
ほんわかするような交流が・・・。

もしかすると、
今までは、猫のように生きられたらな~と思う気持ちと、
反面自分にもある猫のような性質(のんびり気ままに生きることとか)が、
どこか許せなかったのかもしれません。
それが(そのパターンが)、今はどんなふうに生きていっても大丈夫だと、
それで本来の自分なんだ、と受け容れられるようにもなってきたのかも。
で、猫も寄ってくるようになったのか?

犬と猫以外にも、うさぎも大好きですし、小鳥も、ハムスターも、パンダも、熊も、
ペンギンも、象も、馬も、ひつじも、マンボウも・・・動物全般好き。
どんな生きものの、どんな生き方も尊重できるようになっていけたら、
そんなふうになっていけているのなら、ちょっとうれしい。


ねこの後頭部はりりしい









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