夢を追いかける

先日、美容学校時代の友人と何年ぶりかで再会しました。
父が転勤族だったので、私は転校が多く地元の友人(幼なじみ)というものはいなくて、
そのことが少し寂しいような感じもあったのですが、
その友人の存在はどこか幼なじみのような感じがあります。

でもよ~く考えてみたら、たった一年間の学校生活。
そう、ほんのちょっとしか一緒にいないんですよね。
なのに、再会は一瞬で夢を追いかけていた頃の私たちに戻り、
懐かしくてわくわくして、そしてとても落ち着きます。
思えばこれまでも、お互いの節目に、何かの夢に向かっている時に会っていたのかも。
そういうふうになっているのかもしれないなあと思いました。

今回は、お互いにもう子育ても終えて、仕事も引き際を考えるような年齢になっています。
もうそんなに若くはないけれど、まだまだ動けることは動けるし、
なんなら子どもような遊び心も健在で、
逆におばさんだからこその図々しさと大胆な行動力もあります。
一番の変化は、仕事という概念ががらっと変わったこと。
自分以外のもののために自分を働かせたい!と思うのです。

夢を語りながら、
共感したことは「考える」より「感じる」でやっていこうというもの。
よーく考えるのではなく、ほぼほぼ直感で、これいいんじゃないの!
と思うものをとにかくやってみる。
自分のセンサーを信じ切っているところが似ているなと思いました。

年齢がいくと、怖いものがなくなる・・・と言いますが、
それでも何かしらのパターンは誰にでもあって、
それがブレーキとなることは多いと思います。
でも、そのパターンを超えるパターンがまた年齢と共に育ち・・・
例えば、昨日の日記にも書いたような、
●認められたい、というパターンがじゃまをしようとする一方で、
簡単にそれを超えるような、〇認められなくても全然平気、というパターンも同時に育っているのです。

先輩方を見ていると、
黒パターン(陰)よりも、白パターン(陽)の方が大きくなりすぎて、
それもまた陽極まりて陰となる状態を見ることがあります。
バランスを取っていくはずの白パターン選びであっても、
それが大きくなりすぎれば、また黒にもなるということです。

白だけでも、黒だけでも、どちらも、
思いこみの強さ、信念、価値観といったパターンであることには変わりないんだなと思いました。
だから、黒も白もどちらも自分には必要なもので、
どちらも自分の味方であるのです。

友人と私は、性格は真逆だと思ってきましたが、
この陰極まりて陽となる現象でいえば、
正反対のものが一周まわって同じところへたどり着くように、
大事にしたいものが同じだったことに、ちょっと驚いてしまいました。

今年は龍神の年ですから、
彼女のように、県境を越えて山越えて私も動いていこうかな。


再会の森 ひまわりの種とかぼちゃの種がびっしりのお菓子





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