何に執着するか

皆さんは、今年の目標もう立てましたでしょうか?

師匠から常々言われていることの一つに、
自分はどうありたいか?というものがあります。
年が明けて、なんだかますます心に響くようになったので・・・
今年は、これだな、と思い、
ここにこだわって一年を過ごしていきたいと思いました。

そう、こだわって。
あり方に執着していこう・・・と。

そこで執着という言葉をあえて使ってみると、
あまりいい意味では使ってこなかったなあと思いました。
執着とは、マイナスの意味付けは出てきやすく・・・
なんだか固執するような、しがみついて離さないような黒パターン的な感じも受けます。

でも、
やはりこだわってやってみたいというのも、今の素直な気持ちです。
出来る限り、自分のそのときのあり方をちゃんと選んで行動していきたい。

あのダライ・ラマも・・・
執着には、持つべき執着と、捨てるべき執着とがあると言っていました。
その話は、社会的不正に対しての怒りについてでしたが、
その不正と闘うという場合には、
目的が果たされるまでその怒りの感情は持続されるべきだと。

怒りや執着って、
僧侶が一番手放すべきものだと思われているかもしれませんが(自分はそう思っていた)、
その背景にひどいことをされている人がいたら、そこに慈悲がある怒りであれば、
もってはいけないものだとは言いきれません。
なぜならば、その怒りは、偏見のない価値ある感情なのだそうです。

あり方を考え、そこに執着してみるというのも、
よいものを求める純粋な心から来るものだと思うので、
それならば、そこを求める心には執着してもいいということになるのでしょうか。

『ダライ・ラマとの対話』上田紀行著
以前読んだときにはさらっと読み終えた感じでしたが、
あらためて読むと、こんなことが書かれてあったんだ!
と少し以前より理解できるものがありました。

今持っている本を、また今年は読み返していくのもいいかもしれません。


龍のカバーが、今年っぽい




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