幸せの根源

父のホームの部屋の壁には、
入所してから今日までの誕生祝いの寄せ書きが貼られています。
スタッフさんたちのコメントもおもしろくて、
それに応えるかのような満面の笑みの父の写真があります。

昨夜、酸素をしている父はとても苦しそうで、
つらそうな顔をしているのを見ると、こちらもつらくなります。
でも、壁側にある笑った顔を見ると、
おかしくてこっちも笑ってしまいます。

壁とベットと、交互に見て・・・
良かったなあと、でもつらいなあと、どっちも思いながら、
冷たくなっている父の手足をさすっていました。

しかしながら、
さすってもさすっても全然温かくならない。

そこで、
私のお気に入りのウール100%の5本指手袋をはめてみました。
全然協力的ではない動かない指一本一本入れて・・・

足の方も、綿100%の特別な靴下をはかせ、
足全体をさすりこちらも指を一本一本動かします。
さすが昭和一桁の人。
よく歩いたごつい足で、さすりにくい!

やっとのことで手足も温かくなり・・・
こんなに時間がかかるんだなあ。
いつも父の手はカイロにように温かったのに。
昔、私の手はいつも冷たくて、
「ひゃっこいな~」と言って温めてもらったことを思い出しました。

親からすればいつまでたっても子供は子供なんだと思いますが、
子供も、親は親というところは同じかもしれません。
関わり方は変わっても、
心のどこかでは、いつまでもわかってもらいたい甘えたい存在なのだと思います。

おぎゃーと生まれて、
ご飯を食べさせてもらい、おむつを取り替えてもらい、
風邪をひかないように洋服を着せてもらい、お風呂にいれてもらい、
いいこと悪いことを教えてもらい・・・
そして、父はよく私と遊んでもくれました。

大人になると、親がいなくても生きていけるようになるのですが、
そうなるまで育ててくれたのは、やはり親です。

いろんな親がいますし、
そこへ対する思いは人それぞれだと思いますが、
育てられたということに子供は、
言葉や目に見えるもの以上に、もらっているものがあると感じているのではないでしょうか。

地球に感謝する、ご先祖様に感謝する、何かしてもらったら感謝する。
いろいろそういう場面はありますが、
今、何もしてもらっていなくても(いいえ、してもらっていますね今も)
存在そのものにありがとうの気持ちでいっぱいになります。

これは、自分が幸せを感じられることの根源だと思います。
どんなことがあっても、
自分は幸せに生きていけるんだと。

そう思えることは、ここからはじまっているような気がします。













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