何に語りかけるのか
すべて、本当の「私」ではなく、「パターン」が思っていることです。
と言ってしまうと、
パターンは誰?私じゃないの?と思うかもしれませんが、
パターンは「私」の一部であるだけで、
イメージとしては「私」がパターンをいつも観察しているような感じです。
そのパターンが嫌う相手を、
たまたま今日は、あまり嫌だなと思うことがなく、
ああ、こういう日もあるんだなと観察しているのは「私」です。
そこに、良いも悪いもなく事実をみている感じ。
そこから、
いつもあの人、こうだといいのになあ
今日は、本当にストレスのないすっごいいい日だったなあ
等々、考えているのは誰かというと、
これは、パターンが考えている。
ということになります。
何かしらの「パターンを嫌うというパターン」です。
ここが、カウンセリングを学び始めたころは、特にわかりにくかった。
●あの人が嫌い、というパターンがあるとき、
あの人のこんなところが嫌、あんなところがほんと苦手なんだよね、
といった、あの人自身にストレスを感じているだけー
ではないのです(ここで留まらない)。
あの人が嫌いだと思う自分自分自身が、ゆるせないのです。
あの人が嫌い、と思っている自分、つまりこのパターンを持っていること自体が嫌!
ここにストレスなのです。
いつまでたっても(ケアをしていても)、
嫌だと思わない日がやってこない。
また、パターンに引っかかってしまった!
あ~もう嫌だ、こんな自分が嫌だーーー!
全然、進歩していない、成長していない、
早くこのパターン落ち着いてくれないと、いつまでもふりまわされて困るんだよ~
消えてくれ!
っていう感じで、
自分自身(パターン)に嫌気がさすのです。
これは、
ケアする対象が違っているんですね。
パターンを嫌うパターンに語りかける。
これを結構、スルーしていることがあるので、
気をつけていきたいです。
●あの人が嫌いだと思い続けるパターンがゆるせない
ということに気がついたら、
パターンを目の敵にしている、無きものにしようとしている思考があります。
今、自分は何に語りかけようとしているのか?
今日も問いかけていこう・・・
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