記者の聴き方
先日たまたま新聞記者の方とお話しをする機会があり、 なるほど~と思ったことがありました。 例えば自分であれば、相手の方の話を聞くとき、 『傾聴』という姿勢が基本になりながら、その方の言いたいことは何なんだろう?って考えます。 でもその方は、相手の方が発する言葉から感じられる、その人の真実は何か? を淡々と読み取っているかのように見えました。 そこに物事の良い悪いはなく、 その方にとっての事実を曲げずに聞いている、という感じです。 横で見ていた自分は、 まっすぐなまなざしが、相手の表立った目に映る人としての姿を通り越して、 体の中の声、心の内の声、脳の中で変換される声といった、 発信される場所で多少の変化をもちながら(ニュアンスが変わる)、受け取っているような感じでした。 良い傾聴ということでは、 うなずきや相づち、聴くときの体の姿勢、オウム返しに共感、などなど、 講座を受ければ、相手がちゃんと聴いてもらったなあ、と感じてもらえる聴き方を身につけることができます。 ですが、そういうものとはまったく違うもので、 聞いている側、知りたい側、受け取る側にとっての聴き方なのだと思いました。 核心をついた質問だけになってしまったり、 自分はここが知りたいんだということをただ並べて聞くだけでは、 ワイドショーのレポーターや、取り調べの尋問のようになってしまいます。 相手が自然にこの人には話してもいいかなと思う、 それが、腕のいい記者さんには何か天性のものがあるかなあと思いました。 記事にするしないにかかわらず、 「この人にとっての真実を知りたい」 そういう姿勢で人の話を誠実に聞く・・・もう、しみついているものなんですね。 誰しも、生まれてから今日までの自分の歴史があります。 それを本人に代わって、たくさんの表現をもって、言葉をもって伝えられる能力ってすごいです。 相手にとっては、話したことで、 「自分を知ることができた」という充足感がそこにはあるように思います。 あえて人に話すようなことでもないと思っているようなことも、 でも聞かれたから思い起こし、答え、 気付いたら、自分の眠っていた気持ちまでも知ることができた・・・ という感じでしょうか。 カウンセラーと記者ってもしかしてちょっと似ている?かもしれません。 人が好き、人の歴史を知るのが好き、物事への好奇心、疑問への探求心、 人...