ある年齢になると
久しぶりにイオンに行きました。
何人かの店員さんと会話をすることがあって気がついたことがあります。
店員さんたちみんな、自分よりかなり若い・・・ということ。
このおばさんに似合うようなものを選んであげよう、としてくれているのがわかります。
そして、とても優しいです、若い子たち。
これは自分より若い男性にもときどき感じることです。
なんか50歳をすぎてから、親切にされたりとても優しくされたりということがあるのです。
たぶん、自分のような年齢のおばさんって、母親とか親戚の叔母さんのような感じで、
完全に恋愛対象から外れた生きもの。
だから、女性に見られていないというか〜
恥ずかしさを感じることもなく、気を使わないのかもしれません。
かといって、まだおばあちゃんではないので・・・
話もそこそこ合わせられ(本当はかなりずれているかもしれないが)、
うっかりミスをしても、もの覚えが悪くても、おばさんだからな~って思われているのかも。
若い子たちからすれば、なかばあきれているかもしれないし、仕方ない人種と思われているかもしれない。
さらに、いたわってあげないと、この人何もできないんじゃないか?と思われ、優しくするのかもしれません。
なんて都合いい年齢なのか・・・おばさんになるっていい!と思いました。
そんなわたしも、若い子のことを(ここでいうのは20代~30代くらい)、
何か失敗したとしても簡単に許せそうな気がしています。
これはパターンなのか、愛なのか?
ところが、自分と同世代や少し年上の人に対してはどうかというと、
「こんなこともわからないのか」
と、常識という曖昧さを基準にしてその人を判断していることがあります(こちらは完全にパターン)。
自分自身がその常識的なことがよくわかっていないため、
そんな非常識な自分でさえも知っていることなのに、こんな自分でさえできていることなのに、
という考え方になってしまうのです。
そして、相手が知らなかったできなかったとなれば、
そこには考察が浅く、何かを得ようとする姿勢や努力が足りない・・・
と捉え厳しく評価してしまっているのだと思います(一体パターンって何様なんだ)。
「年をとる」の中立ワークをしてみました。
マイナスの意味付けは、
老化する、病気が多くなる、意欲が低下する、どこかが痛い、健康をいつも考える、制限がある、日々年をとったと意識する、醜くなる、一日が早い、孤独を感じる、生活していくことが大変、ボケるかもしれない恐怖など。
でも、プラスの意味付けはというと、
経験値がふえる、成長できる、人の気持ちがわかる、
慎重になる、体を労われる、自分のやり方がわかる、知識がふえる、人をゆるせる、愛せる人がふえる、無理をしない、動きがゆっくり、時間がゆっくり、人とのつきあいがシンプルになる、など。
「年のわりには○○だね~」
これがよい意味で悪い意味でも、すでにパターンで言っている言葉。
年齢と人間性、年齢と経験値、年齢と思考の深さ、年齢と愛情の深さ、年齢と美しさ等々計れないものなのだと思います。
ここはあらゆることに『年齢』で惑わされてはいけないなと思いました。
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