老犬が好き
今朝、窓の外を見ると、散歩中の犬(中型~大型犬)が突然ブレーキをかけて立ち止まっていました。
飼い主さんも足を止めると、犬はちょっと疲れたのか、そこに伏せをしてしまいました。
しばらくじーっと動かなくなって、完全に休憩している感じです。
飼い主さんが犬をなでながら「疲れたのか?」と話しかけ(ているように見えた)、
しばらくあちこちなでてあげていました。
充分に時間をとってあげると、「さあ、もうそろそろ行くか?」と今度ははっぱをかけているようでした。
この後どうなるんだろうって、
自分の好奇心と愛犬心はもうわくわくしてしまって、
外から見えないガラスをいいことに、朝起きたてのすごい格好で窓に張り付いて見ていました。
そしたらなんと、犬は立ち上がるどころか、
横にコテっと寝てしまったのです(両手両足を揃えて伸ばして、完全に寝た)。
やるな~・・・
犬好きの自分にとっては、こういうところがたまりません。
しばし、飼い主さんはなでなでしながら説得にかかっていましたが(やさしいなあ)、
とうとう最後の手段としてのおやつやらしきものをバックから取り出し(馬に人参をぶら下げるかのように)、
犬の再び歩く意欲をなんとか復活させることに成功しました。
歩く姿はゆっくりで、たぶん老犬なのでしょうね、いつまた伏せてしまってもおかしくないスピードでしたので、
おやつを前方に見せつけながら歩きを誘導しておりました(おそらくこの事態は何度か経験済み?)。
自分は動物の中でも犬がとても好きなのですが、それもなぜか年とった犬が大好きです。
モコモコの赤ちゃん犬や、ばんばん飛び跳ねてくる若い犬ももちろん可愛いくて好きなのですが、
老犬にはなんとも言えない哀愁と味があります。
機敏な動きが無くなり、周囲の状況と関係なくとことんスローなテンポと、予測不能な行動に、
何か胸がときめくというか、癒されてしまうのです。
これは、人間でも似たようなところがあります。
お年寄りに対しての興味がなぜにこうも?と思うくらい、なんか観察したくなってしまうんですね。
自分の周囲には、子どもと関わる仕事がしたいとか、赤ちゃんがたまらなく好きっていう方はたくさんいるけれど、
お年寄りに対して「なんか魅かれる~」っていう方は(たまたまかもしれないが)あまりいません。
そのせいなのか、
人間が年をとっていくことに関心があって、魅力を感じているって、
なんか変?と思っていたこともありました。
そして自分の関心事の究極には、老いた先にある死というところがあります。
死ぬときにどんな気持ちになって(どんなふうにそれを受け入れるのか)、
何を感じて何が見えて、肉体から魂が抜けると「私」はどこにいくんだろうと、
その生きている間はわかりようのないことを、考えることがあります。
なぜいつかは死ぬのに、人って生きていくのだろう・・・
自分にとっては、そんな未知なるものがやってくる日まで、どんなふうに生きようか?と思うのです。
あれこれ死について考えると、決まって最後は、
だから、今をとても大事に精一杯生きよう!ということにたどり着くのでした。
年をとっても変わらないものがあるとしたら、
それは生まれる前からずっとある「私」という意識なのだろうか、と思います。
生まれてから日々変わっていく肉体を持ちながら、病気を直したりケガを直したりメンテナンスしながら、
この意識は肉体にも影響をあたえながら広がっていくように思います。
そして、広がった意識が経験するすべてのことをそのままに受け入れていけるように、
見えないところでの力をもらいながら(応援されながら)、どこまでこの受容を成していけるのか、
そういうことが自分の年をとることのテーマ、目標、なりたい姿、行き着きたいところ、
と感じるようになりました。
自分の進んでいくであろう道の先を歩いている先輩方に魅かれるのは、そういうこともあるのだと思います。
人生の終盤だからといって悟っているわけでもない、悩んだり、苦痛を感じたり、悲しんだり、
でも穏やかに過ごせたり、なおも何かの経験からはじめて知ることがあったりするのかもしれない。
今日の老犬のように、
休んだり、抵抗したり、説得されたり、美味しいもので調子にのったりしながら、
そんな感じでいいんだなあと思うと、ほっとするような感じがあります。
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