パターンのすり替え

先日、もう随分と顔を会わせていない知人を見かけ、思わず逃げてしまいました。
その方と関わりがあった頃の自分は、とても無理をして背伸びをして忖度してお付き合いしていたので、
姿を見かけた瞬間に、体が拒絶反応のように心臓がばくばくしはじめ、
くるっと向きを変え透明人間になってしまいたい(こちらの姿を見られたくない)と思いながら一目散に離れました。

そんな自分を見ていて・・・
昔に抱いたパターンは、
やはりそのきっかけとなったことに向き合うことで、
そこでケアされていくんだなあと思いました。
人が成長していくと、以前は怖いと思っていたことがそうでもなくなっていたり、
いつもなら不安になっている自分が、それほど不安に感じなくなっていたり、
久しぶりに会った人と何だか以前とは違う、いい距離感で話ができた、ということが起きたりします。
ある出来事に対して抱いたパターンがあって、でもそのときケアを充分にしたわけではなかったのに、
いつの間にか以前のようにはパターンが騒がなくなっていたということはあるのです。
それが今回はというと、
しっかりとその時の自分のまんまなんだなあ(パターンがそのまま居た)、と思いました。

何のパターンにひっかかっていたのか、考えました。
(まだカウンセリングを学んでいなかったので、当時はパターンで見る、ということをしていなかったのだが)
いわゆるママ友のわたしは、その方と関わるたびに、
何か自分の子育てを否定されているかのように感じていました。
そしてそれが、自分自身の人間性まで点数を付けられているかのような、誰かと比較されているような怖さがあり、
評価されなければ子どもにも、こんなダメな親であることで迷惑をかけてしまう、
良からぬ影響で子どもを辛い目にあわせてしまうのではないかと思っていました。
今思えば、思い込みもはなはだしいのですが、当時はそういう思いで頭がいっぱいだったのです。

つまるところは、『できた人』だと思われたかったのです。
親としての見え方もそうだし、周囲の人たちともそつなくやれている、慕われている、頼りにされている人でいたかった。
そんな親に育てられた子どもは、のびのび育っていて、みんなと仲良くできていて、
この親にこの子あり!っていうくらいのことを考えていたのだと思います。

そして、他のお母さんたちが、これまたとてもよくできた人たちに見えました。
子どもの良さをちゃんとわかっていて何かをやらせていて、
どういう状況でもうちの子が一番、と胸をはって言えるような愛し方ができている。
子ども同士ちゃんとコミュニケーションがとれていて、
その親たちはさらにもっと、親し気に何でも話せているような関係性に見えました。

そこに、全然入れていない自分。
でも、仲間に入っていないことをあからさまにもできずに、
気を遣いながら話したくない話にも交じりながら、
自分はそうは思っていないと心の中で思っていても「そうですよね~」と相づちを打つ自分。
そこに耐えきれず、たぶんお付き合いの後半はもう『素』が出てしまっていたと思います。

人と交わらなくなり、メールもしなくなり、社交的にふるまっていたつもりの自分に疲れ、
もう○○ちゃんのお母さん=できる人、はやめたいと思っていたのです。
はじめから、誰もそんな風に自分を見ていたわけではないし(むしろその逆だったと思う)、
子どもにとってもそんな自分のパターンで頑張っている親の姿など見たくなかったと思います。

その方を見て思い出された(顔を出した)過去。
パターンは、無くなったわけではなく、もう何十年とそこに居続けていたんですね。
ずっとひとりにしてきてごめんなさい・・・
苦しかったんだね、つらかったんだね・・・
そう思ったら、とても泣けてきました。

●できる人だと思われたい
できる人ではないから、そうなりたいと思っていた自分。
できる人だったら、自分も自分の子どものためにも、もっといいことがあると思っていた。
でも、できる人って何がどうできたら、で・き・る、なんでしょう。
その先にもっといいことが自分たちに起きる、って一体なんだったんでしょう???

今は、そんなこと思わないし、かえってできない人だと思われた方が楽だと思っている自分。
それが、このパターンを見つけたときに、
ああ、今も自分の中に確かに存在していることを感じました。
また、いつの間にか思考で、できない人だと思われた方が楽だとパターンのすり替えをしていたことにも気がつきました。
なぜならば、そうすると自分が傷つかないし、頑張らなくて済むし、逃げられるから。
●できない人だと思われたほうがいい、というパターンで自分を守ろうとしていたんだなあと思います。

でも、そこはやはり「私」が守っているのではなく、パターンだから・・・無理があった。
本当に、この●できる人だと思われたい、というパターンがいてくれて良かった。
そして自分、気がついて、見つけられて良かったです。
落ち着いて、丁寧にもう少し語りかけを続けていこうと思います。








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