頼るのならば

あることで悩んでいたとき、
連絡をとってみようかなと思う人の顔がぱっと浮かびました。
でも、すぐに行動へと移せなかったのは、
悩んでいる自分、頼りない自分、力のない自分を見られたくないというのがあったからだと思います。

そんな時に、もう連絡を取らざるを得ない流れとなり、
スマホを手に取り、しばし目を閉じて気持ちを落ち着かせようとしていました。
そして、
素直な今の気持ちをそのまま話してみよう、
それだけを心掛けて話そう、と決意して電話をかけました。

果たして、素直に話せたのかどうか・・・
やった~解決したあ~という感じはなかったのですが、
胸のあたりがとても静かで落ちついていくような感じがありました。
問題の解決ではなくて、自分はこんなふうに素直になりたかったんだなあって思いました。
そして、どうなるかはわからないけれど、
自分が心の奥深くに持っていたもの(本当はこうしたい、というもの)も見つけられたような気がします。

もし、パターンのことも、本当の「私」との分離のことも、心のからくりも、魂のことも、
何も知らなかった(知りたいと思ってもいない)としても、
『素直に嘘がなく話す』というのは、
人間関係で理想とする形の一つであるかもしれません。
そして、自分についても素直であれば、
楽に力を抜いて自身との対話ができるのだろうなと思いました。

何かのパターンが引っかかっていると思うとき、
そこを知るためには丸裸になって全部出してみるしかない・・・
そうやってみて、
あ~ここに自分は納得をしたかったんだとか、
ここを理解したかったんだとか、
ここが見えていなかったんだとか、たくさんのことを教えてもらったように思います。
素直に話すということがもしなければ、いくら話しても(相談しても)
そこから気づけることはなかったのかもしれないと感じました。
この感覚は忘れないようにしていきたいです。

きちんと時間をかけてパターンをケアできたらもっと良かったのかもしれませんが、
それには時間がない、すぐに何とかしていかなければ、でもケアしてない・・・。
ケアしてないから、話せないというのもパターンなんですね。
こういう時、誰かを頼ってもいいんだ、でも、頼るなら素直に嘘がなくね・・・
という体験をさせてもらったような気がします。












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