自分に都合が悪いこと
自分に都合が悪いことは避けたい・・・と無意識に思っている。
やりずらいとか、面倒とか、疲れるとか、嫌いだからとか、マイナス感情を持つものは、
よく考えてみてそう思うのではなく、瞬間的に即判断していることがあります。
また、揺らいだ時も『そちらの方向』を正当化し、
そうやって楽していこうよ、そのままのあなたでいいのよと、誘導することに長けているのがパターンです。
ただ、『そちらの方向』に進もうとしているときに、
避けたいけれど避けるのは本当はどうなんだろう・・・
と、感情が鎮まるような静止するような感覚になった時、それが「私」に戻る瞬間かもしれません。
自分に都合が悪いと思っていない「私」の存在があるということ。
やりずらいから不快な気持ちでやるとか、
面倒だから適当にするとか、
疲れるからしない理由を考えるとか、
嫌いだからしょうがないでしょうと開き直るとか、そこにかすかな違和感が生じている。
ありのままのあなたでいいと言ってくるパターンもいます。
批判的で、攻撃的で、ネガティブで、マイナス感情にどっぷりつかるだけがパターンではないので、
自分に優しくあろうよ、自分に正直になろうよ、無理は禁物だよと言っているパターンもあります。
スピリチュアルの誤解(陥りやすいもの)の中に、
自分を愛する優しさや、自分を認めること、自分を許していくことを、
パターンでさせてしまっていることに気づきにくくしてしまう言葉が多く、
誰がそうさせているのか?というところが混乱してしまうものがあります。
その言葉は柔らかく心地よいものであるだけに、
目の前の課題から避けていくことと、向き合うことの捉え方の違いが、曖昧になっているという難しさです。
パターンはまだ本当の「私」で生きることに気づいていない不安定なものたちを、
すごく巧妙に、正論をきちんと並べ、自己愛に訴え、他者とのつながりを絶ち(又は、都合のいいつながりを築き)、
それぞれの魂の成長のために何度でもその体験を与え続けてくるように思います。
それじゃあ、そんな悪魔のささやきのようなパターンの声を無視すればいいのではないかと思ったりしますが、
このパターンがある故に、自分たちが何度でも試され、チャンスをもらい、
堂々巡りではなく確実に進化させてもらえるものなのだと思います(パターンも癒してもらいたいのだ)。
そうでなければ、大なり小なり自分に都合が悪いことがこんなにも起こるはずがない・・・
このもやもやは、「私」ではなくてパターンが感じているだけだったんだ・・・
「そうだよね、あなた(パターン)はそう思っていたんだね」
と意識が自分の内側に向けられただけで、
いろいろなことが好転していくことがあります(パターンが癒された瞬間)。
でも好転しているのは事態ではなく、
自分の捉え方や感じ方だけが変わったということ。
ということは、都合が悪いという捉え方をして、嫌だなあっていう感じ方をしている自分(
パターン)がいただけ?ですね。
パターン)がいただけ?ですね。
あの眠れなかった夜は何だったのかと思うけれど、いいのだそれで・・・。
そうやってまた眠れない日が何度来ても、少しづつ精進していければいいんだなあと思いました。
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