日常を幸せに

毎日寒い日が続きます。
大寒波と大雪、どっちがいいか?という話になり、
大雪になればいやでも雪かきをしなければならないので、
まだ大寒波の方が耐えられるのかな、ということで究極の選択は寒さに軍配があがりました。
それでも、水落しをしたのに水道が凍ってしまったりすると、
あ~もう、勘弁してよ・・・となるし、
がんがん暖房を焚いていると、電気代や灯油代の請求額を見て青くなる・・・
ということもある。
結局、どちらもそれなりに大変ですね。

こんな感じで、自分にとって苦手なこと、嫌なことがあったときに、
これよりはまだましとか、
こっちじゃなくて良かったとか、
もっと最悪な事態を比べて安心したり、気持ちを持ち直したりすることがあります。

これよりは~、ということの究極は人によって違うと思います。
わたしの場合は、過去に病気を体験しているからなのかもしれませんが、
「死ぬわけじゃない」ということを最後の砦にしてきたように思います。
そうじゃないのなら何をしてもいいと(じゃあ人殺ししてもいいのか、等そういうことではなくてですよ)。

でも、最近では、
ここも、もしかしたら変わってきているかもしれない・・・と思うようになりました。
死ぬわけじゃないんだから、怖がらず何でもやってみたらいいじゃないか、
死ぬわけじゃないんだから、他人にどう思われてもいいじゃないか、等々。
それは本当にそう思うけれど、
では、もしかしたら死ぬかもしれない・・・と思うことがあったらどうなんでしょう。
それは、
怖い、嫌だ、絶対避けたいと思う自分が半分。
そして、もう半分は、
そこが自分の(又は誰それの)寿命なのかもしれない、避けられないことと思う自分が半分います。

実際にそうなったときには、
もう100%怖い、嫌だ、絶対死にたくないと暴れまくるのかわかりませんが、
今は、今はです、
もしもそれが寿命(天寿を全うする)ということならば、
そこに従うことが宇宙の法則、自然な生き方、神の意志、自分が決めてきたこと・・・
寿命が来るまで人は生きるだけ(寿命でなければ生かされる)、という感じがしています。
そしてもし、その時が何となくわかるのであったら、
そこまでにやっておきたいことを本当の「私」でしたいです。

本当の「私」であるならば、
ただ自分を知るために、自分を許すために、そして人に何かを与えられる日常をこなしていくだろう。
自分にとっての日常と、寿命が来る時までにしたいことって同じなのか?と思いました。
もしそうなら、わたしにとって、一番心が穏やかで幸せを感じられることでもあります。
今の時代、「もしかしたら」と考えることが多くなり、
それはまたそれで、よりよく生きるための指針となってくれます。

明日も盛岡、朝ー11℃に、日中も氷点下の予報です~
水道の凍結には充分ご注意ください!



注)水落し(みずおとし)とは
蛇口を全開にして水を出した状態で元栓を閉め、水道管の中に残っている水を出し切って空にする、水道が凍結しないようにする作業。北東北ではー7℃より下がるような日が続くと「今日の夜、水落しして寝た方がいいかなあ」と考えるのである。万が一凍らせてしまった時は、水道屋を呼ぶか、地道にやかんの熱湯を水道管にかけ続けて溶かす方法がある。












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